史学雑誌
Online ISSN : 2424-2616
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ISSN-L : 0018-2478
125 巻, 3 号
選択された号の論文の4件中1~4を表示しています
  • 2016 年 125 巻 3 号 p. cover1-
    発行日: 2016年
    公開日: 2018/10/05
    ジャーナル フリー
  • 2016 年 125 巻 3 号 p. cover2-
    発行日: 2016年
    公開日: 2018/10/05
    ジャーナル フリー
  • 昭和十六年度予算編成における企画院の介入過程
    中村 陵
    2016 年 125 巻 3 号 p. 1-35
    発行日: 2016年
    公開日: 2018/10/05
    ジャーナル フリー
    1940(昭和15)年7月、第二次近衛文麿内閣が成立したが、その前後において、各方面にて「近衛新体制運動」が展開された。その過程において、企画院は予算編成への介入を試みるなど、予算制度改革を指向する姿勢を示すようになる。本稿の目的は、当該期の予算、具体的には昭和十六年度予算の編成過程における企画院の動向に注目し、物資動員計画における普通鋼材配当を含めた企画院の予算査定の実態と、大蔵省との関係性を考察することで、予算編成からみた企画院の歴史的位置付けを再検討することにある。
    企画院は、当該年度の予算統制大綱の成立前後において、独自に予算査定基準を作成した。その特徴は、大蔵省に対して企画院の査定結果を反映した査定を実施するよう要請するなど、大蔵省より優位な姿勢を示すものであった。このような基準を企画院が設定した背景には、両者の予算編成方針が不統一であり、大蔵省の予算査定に遅れが生じている状況を、企画院が問題視していた点にあった。
    以上の基準を設け、実施された企画院査定の特徴は、新築、増設などの新営費や建設費関連の政策に対して消極的な査定であった。普通鋼材の査定も同様の傾向を示し、新規要求された政策への配当には消極的であった。 しかし、大蔵省は、上記の企画院査定を十分に考慮せず、独自の査定を実施し、その特徴も、予算と物資との関係が乖離したものであった。企画院はこのような大蔵省査定を批判視する一方、物資動員計画作成の遅れなどの要因により、予算編成に対する企画院の影響力が後退するなど、企画院自体にも問題点があった点を指摘している。これを踏まえ、次年度以降の予算編成では、主計局官僚の企画院の兼任化や、大蔵省査定の限定化などの改善策を企画院は模索することになる。
    以上の考察から、予算編成に対する企画院の介入は、編成過程において査定基準を設定するといった間接的な方法を用いたことにその特徴を見出すことができる。しかし、そのような方法では、大蔵省への影響力は限定され、大蔵省との二元的事務体制を選択せざるを得ず、ゆえに、企画院査定の完全な実現は不可能だったのである。
  • 森田 直子
    2016 年 125 巻 3 号 p. 39-57
    発行日: 2016年
    公開日: 2018/10/05
    ジャーナル フリー
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