史学雑誌
Online ISSN : 2424-2616
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126 巻 , 12 号
選択された号の論文の4件中1~4を表示しています
  • 2017 年 126 巻 12 号 p. Cover1-
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/12/20
    ジャーナル フリー
  • 2017 年 126 巻 12 号 p. Cover2-
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/12/20
    ジャーナル フリー
  • 長野 壮一
    2017 年 126 巻 12 号 p. 1-37
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/12/20
    ジャーナル フリー
    フランス革命後における中間団体をめぐる政治文化を考える際の基本概念に「団結」と「結社」がある。団結と結社は従来の研究において関連付けて論じられることが多かったが、両概念の連関は必ずしも自明ではない。なぜなら、そもそも刑法典において団結と結社はそれぞれ別の項目で記載されており、また団結と結社のいずれか片方にしか言及していない研究も散見されるためである。先行研究の多くが団結と結社を関連付けて論じた要因として、刑法典における団結禁止規定(第414~416条)の改正について論じる際に従来の研究が主として依拠した史料(立法院委員会による法案趣旨説明)において、結社権への言及が多く見られたという点が指摘できる。そこで本論文は、法案によって示された中間団体認識が同時代における言説体系の中でどのような位置付けにあったのかを解明するため、委員会による趣旨説明にとどまらず、法改正に関連する史料を網羅的に分析した。
    その結果として明らかとなったのは次の事実である。法案審議の過程においては、公序の観点から家族的結社を推奨し団結権を否認する立場と、労働の自由の延長として結社権と団結権を肯定する立場が併存していた。しかしながら、最終的に成立した法案はいずれの立場とも完全には相容れず、結社は個々人の利害の集合である団結とは異なり団体としての利害を持つとする認識、並びに団結権は結社権に至る通過点であるとする認識からなる折衷的な立場を取った。法案は時代の趨勢に反し、立法者独自の中間団体認識に立脚していたのである。こうした立法者の戦略は団結権法認を成功へと導くには有効であったが、その一方で結社の法的立場は曖昧なまま残された。団結法改正の過程で示された中間団体認識はその後、第三共和政初期の社会政策において常に問い直される帰結となるだろう。
  • 久野 洋
    2017 年 126 巻 12 号 p. 38-64
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/12/20
    ジャーナル フリー
    本稿の目的は、岡山県において立憲国民党が結成される過程を検討し、民力休養路線という党勢拡張路線の地域的拡がりとその政治史的意義を明らかにすることにある。
    本論を要約すると以下の通りである。1906年11月岡山県では、坂本派勢力と犬養派勢力とが反目しつつも合流し、地域政党鶴鳴会が結成された。こうした県政界の再編は、県全体の産業構造の変容と相俟って、それまで確固としてあった犬養毅の地盤を動揺させる。そのなか、1908年春、犬養は「経済的軍備論」を提唱する。これは、中央政界において減税運動を主導しうる政策構想であり、岡山県政界では県内の基軸産業の利害をすくい上げ、かつ坂本金弥の政策とも接近するものであった。これによって犬養派勢力と坂本派勢力とが一致して減税運動を推進すると同時に、旧来の地主・名望家層が犬養への支持を再度明らかにしていった。中央政界においても1909年以降、犬養と坂本が接近・提携し、翌年3月立憲国民党が結成される。これを受けて、岡山県でも同年5月に鶴鳴会は解散され、立憲国民党岡山県支部に合流する。
    以上のような、鶴鳴会から立憲国民党へと至る過程の分析から、本稿では、犬養と坂本のせめぎ合いの焦点には県内の中小の地主や商工業者の政治的主張をいかにくみ上げるかという点にあったことに注目し、岡山県のような農業生産力が高く在来産業・地場産業が展開している地域、なかでも瀬戸内・太平洋側では、政友会の利益誘導政策は相対的に機能しにくく、廃減税運動が盛り上がる傾向にあることを論じた。日露戦後の民力休養路線は、先行研究が注目してきた都市部だけでなく、農村部なかでも経済的先進地域にも一定程度の拡がりをもっていたのであり、さらにそのことは大正デモクラシー運動の政治的エネルギーにもつながったと考えられる。
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