小稿は、奥右筆文書に収録される諸大名より幕府に提出された行列道具の所持願、その願い出を認めるかどうかを記した幕府役人の評議書などを総合的に分析し、江戸幕府の政務処理の流れを復元したものであり、家斉期の幕府と藩(大名家)との関係について、次の点を明らかにすることができた。
まず、行列道具の所持願の処理過程について、大名が月番老中に提出した所持願は、月番より大目付・目付に渡され、それは両名より、願い出を認めるか否かを記した評議書とともに、月番へ返上された。行列道具の所持は、大名の家格に関わる問題であり、願い出の採否については、月番と他の老中とが大目付・目付の評議書を参考に、合議により決めていた。その際、老中が採否にあたって重視したのが、願い出を認めると他の大名に支障が出るか、という点であった。この基準があればこそ、幕府は大名に行列道具を持たせることを、その家格と序列を操作するための手段として活用できたのである。
次に、家斉期の幕政については従来、将軍家斉の子女と縁組した大名は官位が上昇したりする不公平なもの、として理解されてきた。小稿においても、家斉の息女と縁組した会津松平・鍋島の両家が、以前に断られた所持願を、新規に先例を提示することなく認められていた点を確認した。その一方で、家斉の子女と縁組していない藤堂家も、前述の基準により、新規に先例を提示することなく、これまで断られていた所持願を認められた、という事実を明らかにした。
以上により、小稿では、家斉期に行列道具の所持願が多く認められた背景として、①家斉の子女と縁組した大名に道具の所持が認められ、それ以外の大名も幕府に所持願を出したこと、②老中を始め幕府の諸役人に、他の大名との兼ね合いから所持願を認めようとの考えがあったこと、の二点を明らかにしたのである。
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