史学雑誌
Online ISSN : 2424-2616
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126 巻, 6 号
選択された号の論文の5件中1~5を表示しています
  • 2017 年 126 巻 6 号 p. cover1-
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/10/20
    ジャーナル フリー
  • 2017 年 126 巻 6 号 p. cover2-
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/10/20
    ジャーナル フリー
  • 吉田 ますみ
    2017 年 126 巻 6 号 p. 1-35
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/10/20
    ジャーナル フリー
    本稿は、第一次世界大戦が日本の海運にいかなる影響を与えたかを、その政治過程を踏まえて明らかにすることを目的とする。従来、大正期以降の日本海運は経済史、経営史の枠組みで検討されることが多く、国家産業である海運業や海運政策の政治との結節は問われてこなかった。本稿では、大戦中の一九一七年一〇月に船腹の流出を防ぐ目的で施行された緊急勅令・戦時船舶管理令の立案、審議、運用過程を検討することを通じて、当該期の政府、政党、当業者の対抗や共鳴の諸相を描出するとともに、日本海運業への影響を論じた。
    地方利益欲求の吸収による支持獲得が雛形となりつつあった一九一〇年代、大戦による海運勃興の中心地であった阪神地方は、政治的には未だ空白地帯であった。世界市場での自由活動を制限する戦時船舶管理令の発令は、同地方の海運業者、特に社外船主の陳情活動と政府攻撃を惹起し、彼らは政党への接近により同令の実施緩和を達成することを画策した。他方、同地における反政府の気色を看取した政党も、船主から資金や動員の援助を受けながら同地での党大会を開催した。船主との直接の接触のなかで、政友会は逓相からの緩和言質獲得へと動く。
    戦時船舶管理令の起草段階では、田健治郎逓相および伊東巳代治ら官僚閥によって、行政による専断的な海運業の指導が構想されていた。しかし、第40議会での同令への事後承諾獲得にあたって、衆議院第一党である政友会の事前交渉により、逓信省は骨抜きとも言える実施緩和を議事上で明言するに至った。禁止されていたスエズ以東の外国間航海が実態として届出制となり、日本船舶はインドや南洋、南方方面への進出を加速させる。当業者と政党の接近、介入は、行政の構想を挫折させただけでなく、その結末は大戦末期の日本海運の航路発展も規定したと言える。
  • 宋朝による天下理念の再構築とその「周辺」
    遠藤 総史
    2017 年 126 巻 6 号 p. 36-61
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/10/20
    ジャーナル フリー
    本論文は、五代と宋代の連続性に注目しながら、宋朝が冊封によって周辺諸国の首長に与える「節度使」と「爵位」の肩書きの政治的意味を検討することで、宋朝による天下理念の再構築の一端を明らかにするものである。具体的には、まず第一章において宋朝が周辺勢力の首長を「節度使」として冊封することに注目し、節度使として冊封された対象勢力を整理しつつ、宋朝が対象勢力の領域内に想定する行政構造を検討する。さらに第二章では、一九七〇年代以降ベトナム史の学界で展開されていた議論を念頭に、宋朝の周辺に存在する節度使の成り立ちを検討する。これにより、宋代の節度使とは宋朝が実質的に統一できなかった五代以来の「未回収の中国」であり、宋代とは実態として五代以来の群雄が割拠する分裂の時代だったことを明らかにする。その上で第三章では、近年の天下秩序に関する研究を参考にしつつ、冊封による各節度使への「爵位」の授与に注目し、天下理念に対して実態が分裂している状況を、宋朝がいかに整合させていたのかという問題を検討する。これにより、宋朝は五代中原政権の天下秩序を、「未回収の中国(=節度使)」との関係の中に継承することで、自身の天下理念を再構築していたことを明らかにする。第四章では、宋朝の天下理念や天下秩序が単なる宋朝の主観として完結するのではなく、自らの支配地域における政治・経済的基盤を確保するという点で、周辺勢力にとってもこれらを共有することに一定の意味があったことを示す。そしてこれらの結果を踏まえ、宋朝とは、五代以来の群雄割拠の状況を実態として統一できていない「未完の統一王朝」であり、その実態において分裂している天下を理念上で再構築しつつ、その中に西夏や大理国、さらには東南アジアまでをも位置づけてしまう「理念の統一王朝」であったと結論づける。
  • 家斉期の行列道具を素材として
    山本 英貴
    2017 年 126 巻 6 号 p. 62-84
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/10/20
    ジャーナル フリー
    小稿は、奥右筆文書に収録される諸大名より幕府に提出された行列道具の所持願、その願い出を認めるかどうかを記した幕府役人の評議書などを総合的に分析し、江戸幕府の政務処理の流れを復元したものであり、家斉期の幕府と藩(大名家)との関係について、次の点を明らかにすることができた。
    まず、行列道具の所持願の処理過程について、大名が月番老中に提出した所持願は、月番より大目付・目付に渡され、それは両名より、願い出を認めるか否かを記した評議書とともに、月番へ返上された。行列道具の所持は、大名の家格に関わる問題であり、願い出の採否については、月番と他の老中とが大目付・目付の評議書を参考に、合議により決めていた。その際、老中が採否にあたって重視したのが、願い出を認めると他の大名に支障が出るか、という点であった。この基準があればこそ、幕府は大名に行列道具を持たせることを、その家格と序列を操作するための手段として活用できたのである。
    次に、家斉期の幕政については従来、将軍家斉の子女と縁組した大名は官位が上昇したりする不公平なもの、として理解されてきた。小稿においても、家斉の息女と縁組した会津松平・鍋島の両家が、以前に断られた所持願を、新規に先例を提示することなく認められていた点を確認した。その一方で、家斉の子女と縁組していない藤堂家も、前述の基準により、新規に先例を提示することなく、これまで断られていた所持願を認められた、という事実を明らかにした。
    以上により、小稿では、家斉期に行列道具の所持願が多く認められた背景として、①家斉の子女と縁組した大名に道具の所持が認められ、それ以外の大名も幕府に所持願を出したこと、②老中を始め幕府の諸役人に、他の大名との兼ね合いから所持願を認めようとの考えがあったこと、の二点を明らかにしたのである。
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