史学雑誌
Online ISSN : 2424-2616
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126 巻 , 7 号
選択された号の論文の4件中1~4を表示しています
  • 2017 年 126 巻 7 号 p. cover1-
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/10/20
    ジャーナル フリー
  • 2017 年 126 巻 7 号 p. cover2-
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/10/20
    ジャーナル フリー
  • 前野 利衣
    2017 年 126 巻 7 号 p. 1-33
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/10/20
    ジャーナル フリー
    十七世紀のモンゴル高原には、ハルハ=モンゴルという集団が左翼(東方)と右翼(西方)に分かれて遊牧していた。これまでの研究では、左翼の知見に基づいてハルハの全体像を描いてきたが、実像を知るには右翼の研究が必要である。そこで本稿では、右翼のチベット仏教界を取り上げ、ハルハの全体像の解明に挑戦し、以下の点を明らかにした。
    当時のハルハの高僧と言えば左翼のジェブツンダンバ一世が有名であるが、右翼をなす三王家(ハーン家、ジノン家、ホンタイジ家)にも転生僧がそれぞれおり、彼らは当主に次ぐ莫大な属民を有し、清・チベット・ロシアと交渉する等、政治的に重要な役割を果たしていた。ハーンらがこうした転生僧を重用したのは、転生僧が十六世紀後半のチベット屈指の学僧の系譜に連なる高僧であっただけでなく、彼らがそれぞれ右翼三王家の当主の近親者であったからだと考えられる。
    右翼におけるハーンと転生僧との政治的な提携関係は、左翼のトゥシェート=ハーン・ジェブツンダンバ兄弟の連携と酷似しており、従来特異な事例とされてきた左翼の聖俗連携の体制は、実はこの時代のハルハ全体に共通するものだったことが明らかになる。
    かかる権力構造のパターンは、右翼のホンタイジ家で発展したものである。初代ホンタイジには側近として外交交渉を担う高僧がおり、第二代ではその外戚の高僧が同じ役割を果たし、第三代では当主の弟である転生僧が活躍した。つまり、十七世紀後半の全ハルハに現れた聖俗連携の権力構造は、左翼ではなく右翼において、十六世紀から三代かけて代替わりごとに発展してきたものだったのである。
    以上本稿では、十七世紀後半のハルハにはボルジギン氏族の当主とその近親者たる高僧による聖俗連携の権力構造が現出し、そのパターンは右翼で成立したことを明らかにした。
  • 賀 申杰
    2017 年 126 巻 7 号 p. 37-59
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/10/20
    ジャーナル フリー
    明治後期の民間造船企業、とりわけ川崎造船所の飛躍的な成長の要因について、従来の研究は、「軍需」、「民需」の二つの観点からの説明がなされてきた。しかし、明治三〇年代以降における川崎造船所の艦船建造実績から見ると、同所の経営状況や、利益獲得の方途について検討するとき、一般商船および日本海軍艦艇の建造以外に、外国発注艦の建造の実態について検討しなければならない。本稿は川崎造船所と注文国政府の双方の視点から、海外に対する艦艇輸出の交渉過程について分析を加えた上、①川崎造船所が艦艇の輸出を通じて獲得した利益の状況、②艦艇建造の点で技術と経験が未熟であった川崎造船所が、外国によって艦艇購入先として選定された理由、③艦艇の輸出における外務省と海軍の役割、という三つの視点から、川崎造船所の艦艇輸出の特徴を検討する。
    明治後期において、輸出した艦艇の数と価格両方を考慮すると、川崎造船所は艦艇の輸出を通じて得た利益が無視できない。同時期、川崎造船所の成長と利益獲得につき、先行研究が提示した「民需」、「軍需」の二つの視点のほか、本研究は「輸出」の新しい視点を加えたいのである。また、川崎造船所が海外から多くの艦艇発注を受けることに成功した要因について筆者は、注文国の政治情勢、川崎造船所の積極的な海外進出策と政府からの支援(特に海軍側と外務省)にあると見ている。
    今回の川崎造船所の艦艇輸出問題の検討から見ると、主力艦の国産化時代以前の新たな武器の移転ルートを提示した。川崎造船所はまず高値で小型の艦艇を海外に輸出し、この輸出を通じて建造経験と経済的利益を蓄積し、さらに大型艦建造に相応しい造船施設を拡充した。一連の造船設備と技術の整備を通じて明治末期にようやく主力艦の国産化を実現した。
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