史学雑誌
Online ISSN : 2424-2616
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127 巻, 4 号
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  • 2018 年 127 巻 4 号 p. Cover1-
    発行日: 2018年
    公開日: 2019/04/20
    ジャーナル フリー
  • 2018 年 127 巻 4 号 p. Cover2-
    発行日: 2018年
    公開日: 2019/04/20
    ジャーナル フリー
  • フランス第三共和政前期 (一八七〇― 一九一四年) におけるブーシュ=デュ=ローヌ県の事例を中心に
    谷口 良生
    2018 年 127 巻 4 号 p. 1-40
    発行日: 2018年
    公開日: 2019/04/20
    ジャーナル フリー
    議会共和政と称されるフランス第三共和政に関する議会史研究は、国会のみを対象としてきた。対して、本稿はブーシュ=デュ=ローヌ県を中心に、議会共和政への地方議会の位置づけを試みた。
    県議会に関する1871年8月10日法(1871年法)は、その行政上の権限を増加させた。しかし、当時の議員たちは県議会を「政治的議会」でなく「行政機関」としてとらえていたため、県議会による「政治的請願」は保守共和派政府を中心に厳格に禁じられた。実際に、1870年代の県議会は、立法者の意図通り「行政機関」として知事などから位置づけられ、また自らもそうふるまった。
    しかし、状況は議会共和政の確立(1870年代末)によって変わる。それまでと異なり、県議会は「世論」の代表として自らを「政治的議会」と認識し、非合法な「政治的請願」や非公式な政治的意志の表明を行うようになった。そもそも政治と行政の境界は曖昧であり、県議会の「政治的議会」化の素地は1871年法に内在していた。
    対して中央は、県議会のこの動きを公式に認めない一方で、より厳格に禁止もしなかった。その前提には、県議会が中央にとって「世論」形成・代表の場として機能していたことがある。とくに国会議員と地方議会議員を兼任していた議員は、自ら地方議会で「世論」の形成に貢献していた。つまり、県議会の「政治的議会」化を公認することで、中央にとっての政敵による「世論」を考慮せざるをえなくなり、他方でより厳格に禁止すると、自らの政治的協力者を排除してしまう。そのため、共和派政府と議会多数派は、その政治的構成に応じて県議会に対して両義的にふるまえる現状を維持したのである。
    こうして、県議会は「世論」を形成・代表する「政治的議会」として議会共和政にくみこまれていった。議会共和政において、中央と地方のあいだに、このような非合法あるいは非公式な政治空間が徐々に形成されていったのである。
  • 「東大寺年中行事」 を素材として
    三輪 眞嗣
    2018 年 127 巻 4 号 p. 41-66
    発行日: 2018年
    公開日: 2019/04/20
    ジャーナル フリー
    本稿では、「東大寺年中行事」という史料を主要な素材として、一二世紀から一三世紀にかけての東大寺の財政構造の形成過程とその特質を論じる。「東大寺年中行事」は一年間の法会・行事で配分される物品の量や受給者などを書き上げたものであり、東大寺の財政構造の全体像を検討する際に、有効な素材となる。
    まず、「東大寺年中行事」の史料的分析をおこない、記載方法や内容をまとめ、寺家経営の中心にあった執行の手引書的な性格を指摘した。また記述の特徴として鎮西米の下行に関わるものであったことを明らかにした。
    続いて、「東大寺年中行事」に登場する主要財源として、荘園・鎮西米・寄進田を挙げ、荘園を用途に即して分類し、鎮西米と大和国などの膝下領荘園との補完関係を指摘した。鎮西米は量的にみれば荘園には及ばないものの、法会の荘厳用途や寺内諸集団に配分される財源であり、寺院社会として重要な財源であったことを明らかにした。
    さらに、鎮西米とその前身である封戸・封物との関係を検討した。一一世紀から一二世紀にかけての封物の下行量・名目と一二世紀・一三世紀末の鎮西米の下行量・名目を比較し、封物から鎮西米に移行する際に下行額は減少するが、下行名目は一致するものが多く、鎮西米が封物の代替財源として機能していたこと、一二世紀の鎮西米と一三世紀のそれとでは下行名目が限定されるが、下行額は一致しており、両者に連続性が見られることを指摘した。
    また、一二世紀には東大寺での修学システムが拡充され、学生供に宛てられる供料荘園や諸法会の僧供料の寄進田などが登場した。東大寺財源の分割・多元化が進み、封物を継承した鎮西米と、特定用途に宛てられる荘園・寄進田とに分化することで、「東大寺年中行事」に見られる財政構造が形成されていくと論じた。
    こうして一三世紀にかけて形成された財政構造が、政所・惣寺という二元的な組織の併存を規定すると考えられる。
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