本稿では、康暦元年(一三七九)以前の室町幕府政所執事の比定を行い、その上で、政所執事就任者の立場や政所執事就任・辞任のあり方、政所執事と御所奉行の関係について検討した。
政所執事の比定は、年代記と一次史料からの検出に加え、評定衆の検討からも行なった。評定衆の検討を行うなかで、二階堂氏のなかの上位者が政所執事に就任していたわけではないこと、政所執事の役職に評定参加という職務が内包されていたことが明らかになった。
二階堂氏は鎌倉幕府において政所執事に就任していた家であり、鎌倉期から複数の系譜に分かれていた。室町幕府の政所執事には、二階堂氏内の様々な系譜の人物や二階堂氏以外の人物が就任していたが、それは、建武政権期の政所執事就任のあり方が影響を及ぼしていた。建武政権期には鎌倉将軍府と陸奥将軍府において政所執事が設置されており、陸奥将軍府では二階堂顕行(信濃家)、鎌倉将軍府では二階堂行諲(伊勢家)が就任していた。陸奥将軍府の就任のあり方は鎌倉後・末期の就任のあり方を踏襲したもの、鎌倉将軍府の就任のあり方は鎌倉後・末期の就任のあり方から逸脱したものであり、鎌倉将軍府と陸奥将軍府にて政所執事就任のあり方が統一されていなかった。この異なる政所執事就任のあり方が、室町幕府にも持ち込まれ、それが室町幕府における多様な就任者や頻繁な交代に繋がった。
さらに、政所執事は御所奉行と密接に関わっており、御所奉行が複数人で構成されていたことや、そのなかに評定衆系の御所奉行と近習系の御所奉行が含まれていたこと、将軍家に近侍する人物が御所奉行や政所執事に就任するという構造が形成されていたことを指摘した。
以上の検討を通して、南北朝期室町幕府の政所執事やそれをめぐる二階堂氏の動向、さらには政所執事に関連する役職・職務、将軍近侍者の集団のあり方を提示した。
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