本稿は、欧米で形成されていた軍陣医学・軍陣衛生学を通じた帝国間関係への日本陸軍衛生部の参入過程について、軍事医療統計に注目して検討した。
一九世紀後半の欧米各国陸軍衛生部では、軍事医療統計を活用した衛生改革に成功しており、より優れた成果をあげるべく、軍事医療統計の国際化が目指された。各国陸軍衛生制度や統計作成方法の差異により、軍事医療統計の国際化の実現自体は極めて難航したが、欧米各国陸軍衛生部は協調的に事業を進めた。このような取り組みは当初欧米中心に展開したが、北清事変以降の東アジアへの関心を背景に、日本陸軍衛生部も組み込もうとする動きにつながった。
一方、日本陸軍衛生部では1875年以降、軍事医療統計を作成し始め、一般人口の死亡率以上に陸軍の死亡率が高いという問題に直面した。この問題を克服すべくドイツに軍医を派遣した。このドイツ派遣を契機に、日本陸軍衛生部は、軍事医療統計の刷新を行い、欧米各国陸軍衛生部と軍事医療統計を交換するようになった。これにより日本陸軍衛生部は、各国陸軍の死亡率を比較し、欧米各国陸軍の兵営改革を取り入れ、腸チフスの死亡率を改善することに成功した。日本陸軍衛生部は、こうした成果が反映された軍事医療統計を積極的に発信し、欧米各国陸軍衛生部もまた日本陸軍衛生部の成果に関心を寄せるようになり、最終的に日本陸軍衛生部も国際軍事医療統計事業に加わることとなった。
また、欧米各国陸軍衛生部の軍事医療統計の入手は、植民地台湾への進出にも活かされ、英領インドの建築衛生の採用、それによるマラリア予防実験の成功につながっていった。軍事医療統計を契機に熱帯衛生を通じても欧米各国陸軍衛生部とのつながりを築き上げるに至った。
一九世紀末から二〇世紀初頭にかけて、日本陸軍衛生部は軍事医療統計を通じて学術的な「言語」を取得し、それらを通じて多角的に帝国間関係に参入していった。
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