史学雑誌
Online ISSN : 2424-2616
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133 巻, 6 号
選択された号の論文の4件中1~4を表示しています
  • 2024 年 133 巻 6 号 p. Cover1-
    発行日: 2024年
    公開日: 2024/08/02
    ジャーナル フリー
  • 2024 年 133 巻 6 号 p. cover2-
    発行日: 2024年
    公開日: 2024/08/02
    ジャーナル フリー
  • 小松原  瑞基
    2024 年 133 巻 6 号 p. 1-36
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/06/20
    ジャーナル フリー
    鎌倉幕府訴訟研究では、鎌倉後期の職権主義台頭が理非の軽視を示すものとされてきた。出廷しないものを敗訴とする「召文違背の咎」はその最たるものとされ、同咎適用裁許(以下「召文違背裁許」)は一方的裁許と論じられてきた。しかしこれは、幕府の滅亡を説明しようと召文違背行為を過大視し、また「召文違背の咎」適用過程における訴人側の動きを捨象した議論である。さらに、職権主義が即ち理非の軽視であるとする通説にも疑問が残る。そこで本稿では、鎮西探題の事例を中心に、「召文違背の咎」の再検討を行う。
     第一章では「召文違背の咎」適用過程の復元を試みた。「召文違背の咎」適用過程は、訴人の裁許要請により開始されるが、鎮西探題がそれをそのまま受け入れて召文違背裁許を下すことはなく、探題が使節に「違背実否」を尋問させる手続を原則経由していた。
     第二章ではかかる手続の意味を検討した。召文の伝達は訴人に委ねられていたため、訴人が召文を取り隠して論人の召文違背状況を創り出し、論人を「召文違背の咎」に陥れる戦術をとり得た。探題の「違背実否尋問」は、かかる訴人の戦術を阻止し、自ら論人の召文違背を確認する意味を有した。また召文違背裁許は確定力を有したが、これは、「違背実否尋問」による慎重な確認を通じて、論人の「承伏」を認定できたからだと考えられる。
     第三章では、「違背実否尋問」の限界や、それに対する探題の対策を考察した。「違背実否尋問」は、使節の難渋や論人の無反応により機能しないことがあり、また訴人が「違背実否尋問」後の論人請文を取り隠して論人を「召文違背の咎」に陥れる動きもあった。かかる限界に対し、探題は「違背実否尋問」を繰り返し行うという対策を講じていた。
    以上から、「召文違背の咎」適用過程では、訴人の主体的な制度利用と探題の慎重姿勢が交錯しており、通説の如くこれを幕府による理非軽視と評価するのは妥当ではない。
  • 警察予備隊の出動をめぐる競合
    太田  聡一郎
    2024 年 133 巻 6 号 p. 37-71
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/06/20
    ジャーナル フリー
    冷戦初期日本において、再軍備と治安政策とは共通の脅威に対応する補完的な性格を持ったとされる。しかし、再軍備と治安政策を一体的に進めるには、理念的な問題や実際的な困難も伴ったのではないか。本稿は、この再軍備と治安政策との一体性の内実を照射する事例として、警察予備隊(予備隊)の出動をめぐる競合を検討する。
    予備隊の創設直後の一九五〇年末~五一年三月頃、予備隊本部(内局)の官僚や一般警察は、予備隊の出動判断に一般警察を関与させることを構想する。これは政治的に中立な一般警察が治安政策を担うという警察「民主化」の理念と適合的だった。しかし五一年下半期にわたって予備隊の出動可能性は後景化し、治安情勢の悪化した五二年一~五月初旬にも幕僚の出動準備は緩慢だった。一般警察も五二年以降、自前の警備公安警察力を整備する方向へ向かう。以上の過程は、予備隊と一般警察との連携や当面のすみ分けが進められたものとまとめられる。
    しかし、予備隊令は首相に予備隊の指揮監督権を認めていたため、内局、幕僚、一般警察が運用の水準だけで連携やすみ分けを貫徹することは不可能だった。五二年一~五月の保安庁法制定過程において内局官僚は、予備隊に代って新設される部隊の出動が政治勢力に「濫発」されることへの警戒、一般警察を出動判断へ関与させることの必要性を提起するも、実現しなかった。
    公安事件の頻発も手伝い、講和条約発効後の内閣や自由党は予備隊に対する期待を高めた。幕僚はこれまでと異なり、当面の出動を想定した準備を進めたが、一般警察との関係も留意され、内局・幕僚は非制度的な方針、次いで訓令において、出動判断に一般警察が関与する余地を補完していった。
    以上より本稿は、法令の水準における一体性、運用の水準における連携とすみ分けという構図が、五〇~五二年における再軍備と治安政策の関係の実態だったと結論した。
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