本稿では、大正期東京の演劇検閲の変容を、当時の警視庁の演劇検閲に出現した「専門家」検閲官の存在に注目し、その背景にある時代状況の変化、特にデモクラシー状況への警察の対応のあり方などをふまえ検討した。
大正前期、演劇界では脚本の「芸術的価値」に無理解な検閲への批判が高まると、「警察の民衆化」を掲げていた警視庁はそれに応え、一九一八年以降、芸術に見識を有するとされる検閲官を採用、以後演劇検閲官の「専門家」化が進行する。彼らが演劇関係者と検閲をめぐる「交渉」の場を設けたことは、従来の一方的な態度からの転換として期待されたが、社会秩序の維持という検閲の第一目的は堅持され、あくまでその手段として、芸術の理解や「交渉」を行ったという背景から、演劇関係者と異なる価値判断基準で演劇を評価する姿勢に根本的な変化はなかった。
そこで演劇関係者側は、演劇検閲の諮問機関を設置し、演劇・芸術関係者が参加することで、「芸術を解さない」検閲官による検閲の是正を目指し、一九二二年から行われた演劇改善運動の中で、諮問機関の設置を警視庁に対して要求する。警視庁は、要求への歩み寄りを示すとともに、芸術性を加味した検閲の実施を宣言するが、それは、従来風俗警察的観点から行われてきた検閲処分を、芸術性を基準にしたものと説明することで、その検閲処分に対する芸術家からの批判を封殺する機能を持つものでもあった。諮問機関構想は関東大震災によって消失するが、デモクラシー状況の高まりによる演劇関係者の運動と、警視庁の歩み寄りが、検閲範囲の拡張を呼び込んだのである。
以上本稿では、大正期警視庁の演劇検閲に出現した「専門家」検閲官が、デモクラシー状況に対処しつつ適切な統治を行うための存在であったこと明らかにし、昭和戦時期の「専門家」検閲官のような、芸術的価値を基準に検閲を行う検閲官とは大きく異なる存在であったことを提示した。
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