19世紀末から20世紀初頭にかけて、国際法やシーパワーといった、海洋世界との関わり方についての議論や概念が流入することで、中国は海洋を領有するという行為について独自の認識を形成した。本稿は、近代中国における海洋領有認識が、領海と海権という2つの概念の組み合わせから作り出される過程を考察した。
中国は1865年の『万国公法』によって海洋領有の論理を学習し、その結果形成される領域の呼び名として領海という単語を20世紀初頭に獲得した。また中国は、シーパワーの和製漢語である海権を、包括的かつ排他的な海洋管轄を可能とする、ある国家が他国の干渉を排除しながら海に及ぼす力として理解した。張謇や周馥といった清末の実業家・政治家たちは、漁業を題材に領海と海権を組み合わせることで、海洋領有認識の素形を作り出した。陳紹寛や許継祥といった中華民国の海軍軍人は、清末官僚と共通した論理の上に包括的な海洋支配の構想を作り上げたが、他方同時代の国際状況による制約も受けた。
近代中国にとっての海洋領有とは、海上を移動する主体によって領海を成立させ、領海に立脚して海権を展開し、それを根拠に主体の移動範囲を再設定する、という形で絶えず繰り返される運動である。海洋領有の結果出現する海洋領域もまた、絶えずその範囲を再設定されるような存在として認識されている。中国にとっての海洋領域は、主体の行動に依存して流動的に変動する、国家の力と法制度の結合体であると言える。
見落としてはならないのは、本稿で取り上げた論者は、いずれも国家の防衛をその目的として海洋領有を唱えたという点である。しかし、中華民国海軍軍人たちの言説から見出されるように、近代中国は領海範囲の拡張や他国の圧迫を選択する可能性もあった。ここには、国家の防衛を目的に積極策を構想するという、中国の対外的姿勢を読み取ることができる。
抄録全体を表示