船底や岩礁などで群生しているムラサキイガイは,代表的な海洋付着生物である。ムラサキイガイは,足糸と呼ばれる接着タンパク質を分泌し,それを不溶化することで強固な接着能を獲得している。このタンパク質にはチロシンの翻訳後修飾によって得られたL ジヒドロキシフェニルアラニン(DOPA)が多く含まれており,それが接着機構に重要な役割を果たしている。ムラサキイガイは水中で接着タンパク質を分泌し,それを固化することで強度な接着力を得ていることから,優れた水中接着剤として注目されている。本稿の前半では,DOPAの化学構造・物性を巧みに使った水中接着メカニズムを概説した後,最近注目されているムラサキイガイの接着物質を模倣した水中接着剤について,最近の研究動向を代表的な研究例とともに紹介した。古来より,漆の原料であるウルシオールや柿渋の苦味成分である胆汁酸は自然塗料や接着剤として用いられてきた。これらの天然材料はいずれもカテコール基を分子内にもち,それが自動酸化してクロスリンクすることで塗膜や接着剤としての性能を発揮する。MAPを模倣した最近の万能接着剤も,一見すると原点回帰のようにも見える。しかし,MAPを模倣した接着剤が新しいテクノロジーとして迎えられた背景には,化学の進歩によって接着剤の新たな活躍の場が生まれてきたからにほかならない。ムラサキイガイのほかにも世の中にはたくさんの付着生物が生息している。今後,接着生物の付着機構が解明されれば,このような分野がますます発展していくと考えられる。
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