日本の企業経営の組織と管理にとって,昭和50年代前半の最大の課題の一つは現在の管理職および管理職候補者の処遇の問題である.この処遇問題は日本的経営の特性の一つとしての学歴・年功基準の昇進管理にかかわっており,日本的経営にとって新しい課題となってきた.本稿では多くの企業経営でとられている場あたりの合理化施策を批判し,どのような理念にもとづいて企業経営がこの課題にとりくむべきかについて述べようとしている.
「管理職問題」について,高学歴化など専ら労働力供給側の変動から説明する動向に対して,労働力需要の変動要因の側からの解明もなされねばならない.技術革新は一応一巡を見たといわれるが,情報処理・活用のソフト科学はいま発展過程にある.そのインパクトを中心にこの問題を論じる.
人事の決定は,マネジメントの中でその国の経営の性格に最も多く影響されるが,同時に経営の性格自体が時代の変遷,環境の変化によって変化するので,人事管理もまた変化を免れない.わが国の企業に独自といわれる人事の決定も,戦前,戦後,現在と大きく変ってきて,今や根本的な転換に直面していると思われる.この点を雇用と配置に焦点をあてながらたどってみた.
管理職過剰の傾向をあらためるために,一般にとられている方式は,専門管理職制度とか資格制度といった制度的アプローチである.しかし筆者は,これらの制度的方法にはそれなりの限界が見えてきている故に,より抜本的には真の専門家と称されるにふさわしい人材の育成について努力しなければならないと主張したい.与えられた問題を解くという点ですぐれていた従来の専門家と異なる,真の専門家とはどのようにして養成可能だろうか.
人々は組織から余りに多くのものを期待する.地位はその典型的なものであり,組織内・外にたいして栄誉感と社会的位置づけを付与する.人事組織管理も積極的にそれを充足させようとした.その結果,管理職像の曖昧さを引き起してしまった.
企業の「政治的次元」の研究は,経営学内部の分業関係にあっては未開拓の分野であるが,近年,アングロサクソンの経営管理論,ドイツ経営経済学の経験的および理論的研究において急速に発展しつつある.
本稿は,かかる発展途上にある理論的研究の方向における権力の分析のプロトタイプであるR. A. ダールとJ. C. ハルサニーの概念的枠組を中心に考察し,若干の検討をくわえる.
アメリカから導入された管理の理論や手法の中には日本的経営風土に馴染まず消え去ったものが少なくない.そうした中でZD運動は今日のわが国企業経営の中に定着したものの一つと言えるであろう.政策決定,管理,それぞれのレベルでの従業員の経営参加の問題が論議されている昨今,ZD運動を参加的管理の一技法としての立場から再検討し,その理念を十分理解することによって,現場での経営参加への拡大の道を見出し得るであろう.