より高い生産性は,貧困と戦うためのわれわれがもっている重要な道具である.生産性の向上を規定する要因は何であろうか.この点を科学的に明確にするためには,マネジメント調査が必要である.世界の多数の国々のマネジメント・スタイルやその実際的慣行の間にみられる同似性と差異性に関する比較研究はとりわけ重要であることに注意を喚起したい.
本稿では,アメリカ企業における経営管理と経営組織の実践の底に流れる基礎的な思潮を求め,それを制御可能性―統制可能性の追求ならびに要具的管理機構観として規定した.しかしそのゆえにこそ,その限界を突き破る動きが色々な形で現れ,ついに60年代以降,その基礎的イデーはその指導性を大幅に喪失するに至った.しかしそれに代わる統合的管理思潮はまだ登場していない.アメリカにおける管理職―専門職の新しい問題も,いわばこの様な現実の管理・組織の混迷状況の中で浮び上っている.
専門職と管理職とは,その能力適性の上からも制度的に区分すべき職掌ではなく,むしろ今後の経営にあっては,全員が管理能力をもった専門職として育成されることが望ましいとする逆説的見解を説明し,併せて高齢化対策として,中高年層の能力発揮方式の年とり変化を考えて,職務ないしは組織を任務志向のものと配備志向のものとに分けて再編成し,その経験豊かな専門能力は配備志向の職務(組織)において活用することを提案する.
戦後の経済成長過程で,わが国の労働市場における<専門職業化(プロフェッショナリゼーション)>は組織の内外を通して顕著な展開を示した.特にその主流を構成するのは,企業,官公庁などに所属する<俸給専門職(サラリード・プロフェッション)>である.その実態は,高齢化などの要因も加わり,きわめて多様化している.専門職制度の組織内定着とともに,期待も強まっているが,「企業中心の価値体系」が支配的なわが国で,社会的に「開かれた専門職」が育ちうるかが今後の課題である.
管理者的人材が極度に不足していた工業化初期段階の日本の産業界には,一見プロフェッショナル風の企業人が出没した.しかし,これは,まったく経過的現象で,やがて人材の内部養成・定着のシステムが固定し,プロフェッショナル企業人は育ちにくい環境が形成される.しかし,企業人の主流をなすまでにはいたらないが,プロフェッショナル企業人の活動の跡が見られることも事実なのである.
組織のコンティンジェンシー理論の主唱者の間に,組織構造の決定要因として,規模と技術変数のいずれが,優勢であるかについての論争がある.われわれは,この論文において日本の50工場のサンプルからえられた経験を用いて,組織の社会構造,特に労働力の構造,権威の構造,統制の範囲,成文化,労使関係,社会的統合が,規模よりも技術によって説明できることを証明する.