ソシオロジ
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60 巻 , 2 号
通巻 184号
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論文
  • 井手口 彰典
    原稿種別: 研究論文
    2015 年 60 巻 2 号 p. 3-20
    発行日: 2015/10/01
    公開日: 2020/06/20
    ジャーナル フリー
    「童謡」という言葉は今日、子供のための歌(とりわけ大正時代以降に発表されたもの)を指す名称として一般に用いられている。だが具体的に何をもって童謡とするのかはしばしば曖昧であり、たとえば学校唱歌やアニメソング、また近年の子供向けヒット曲を童謡と呼ぶのか否かは文脈によって異なる。 童謡をめぐるこうした概念の揺れは、この言葉が持つ歴史性と深く関係していると考えられる。そこで本稿では、童謡が子供のための歌という基本的な意味を獲得した大正期から現代までを対象に、音楽学者E・W・ポープのモデルを援用しつつ、童謡の社会的イメージの変遷過程を明らかにする。ポープによれば、社会に登場した異文化由来の記号は、当初「エキゾチック(/国際的/モダン)」なものとして受容されるが、次第に「普通」のものとして定着し、やがて「懐かしい(/国民的な/伝統的な)」ものへと推移していくことがあるという。童謡もまた、このモデルに沿った変化を見せている。すなわち、大正期に登場した童謡はモダンかつエキゾチックなものであったが、昭和に入るとレコードとラジオの普及によって普通のものになり、さらに一九六〇年代末頃からは徐々に懐かしさの対象へと変わっているのだ。 今日我々が漠然と抱いている「童謡」観は、この「懐かしい」段階に相当するものである。だがそうした理解は決して絶対的なものではなく、状況次第では「エキゾチック」ないし「普通」の時代の認識が呼び戻されることも少なくない。このことが、「童謡」という言葉が持つ社会的イメージの多様さの原因になっていると考えられる。
  • ――廃娼・存娼論における「公娼/私娼」カテゴリーへの着目から――
    本多 真隆
    2015 年 60 巻 2 号 p. 21-38
    発行日: 2015/10/01
    公開日: 2020/06/20
    ジャーナル フリー

    近代日本の家族とセクシュアリティに関する歴史社会学研究において、「近代家族」規範の浸透と連動した「妻」と「娼婦」の分断は重要なテーマのひとつである。この分断は、近年の先行研究においては、幕藩体制では必ずしも蔑視の対象ではなかった芸娼妓が、明治期以後、「妻(家庭婦人)」に対する「娼婦」の側に位置づけられる過程として描かれてきた。 しかし近代日本の言説を検討すると、「娼婦」を「公娼」と「私娼」に類別して、前者を家族規範と共存させる論調など、先行研究とは異なる局面も散見される。また、戦前期においては、婚姻外の性関係を一定程度許容する「家」規範も優勢であった。本稿は廃娼論と存娼論における、「公娼」と「私娼」の分断への着目から、近代日本における家族規範と買売春の関連の一端を明らかにする。 検討の結果、廃娼論は「近代家族」的な家族観と「性」の問題は個人の倫理観に委ねるという発想から公娼制度を批判し、対して存娼論は公娼制度との共存で保たれていた「家族」を擁護するという発想から、「私娼」を批判していた様相が示された。結論部では、近代日本における廃娼論と存娼論の対立、および「公娼」と「私娼」の位置づけの違いは、存続の危機をむかえていた公娼制度と、新たに勃興した性風俗、そして「家」と「近代家族」のあいだで変動の過程にあった「家族」をどのように整合的に位置づけるかをめぐる見解の相違であったと位置づけた。

  • ――問題提起と社会学的アイデンティティ論・自己論の批判的検討――
    鍵本 優
    2015 年 60 巻 2 号 p. 39-56
    発行日: 2015/10/01
    公開日: 2020/06/20
    ジャーナル フリー

    本稿では、「個人的主体が自分自身を突き放すかのように対象化して、それを観念的に破壊・消去・無化・無意味化・空虚化・無価値化していこうとすること」を「脱・自分」と呼ぶ。そのさい具体的・実質的な自己同一化対象をもたないものに限定する。また、自己に関するメタレヴェルの認知が充分可能な状態のものにも限定する。 本稿の目的は、社会学的な「脱・自分」論の理論的可能性を社会学的アイデンティティ論・自己論にそくして模索しつつ、その可能性が阻まれてきた要因をそれらの批判的検討によって指摘することである。 本稿の結論は次のようになる。従来の議論が「脱・自分」を扱えなかった要因には四つある。第一に、想像的な同一化を内的実践の基本論点としたことである。第二に、トータルな自己観念への視点が弱かったことである。第三に、内的実践の機能が自己や社会的秩序の構成・維持に限定されてきたことである。第四に、アイデンティティや自己を扱うさいに社会学が準拠してきた「自己の(再)構成や安定的維持を欲する」という人間像があまりに強固なことである。 本稿の構成は以下のようになる。まず問題提起を行い(第1節)、「脱・自分」という用語の定義と具体的事例とを示す(第2節)。そして、それに着眼する本稿の社会学的意義を論じたうえで(第3節)、従来の社会学的アイデンティティ論・自己論に組み込まれた前提を批判的に検討する(第4節・第5節)。最後に、それらが「脱・自分」を問題化できなかった理論的諸要因を指摘し、その限界を乗り越えるべく「特定の社会状況下での『脱・自分』の欲望の発動」という論点とそれへの知識社会学的アプローチとを提案する(第6節)。

  • ――ハーヴィー・サックスの「成員カテゴリー化装置」を手がかりに――
    大石 真澄
    原稿種別: 研究論文
    2015 年 60 巻 2 号 p. 57-74
    発行日: 2015/10/01
    公開日: 2020/06/20
    ジャーナル フリー

    本論は、生理用品のテレビCM制作物の分析を通して、テレビの受容者が生理用品に関する言及をどのようにそれとして理解しているのか知ろうとするものである。 本論では分析対象であるテレビCMの言及形式に着目する。そのために、テレビCM分析の先行研究を検討した結果、データベースから資料を抽出し、受容者の理解をそのやり方に沿って記述するという方針を得る。ここからエスノメソドロジーの立場に立って、テレビCMの理解に際して要求されるカテゴリー化の作用を記述するという作業方針を立てた。またこの方針の遂行のために、ハーヴィ・サックスの「成員カテゴリー化装置」の使用を手がかりとし、テレビCM資料に適した分析手法の検討を事前に行った。 分析の結果、理解には二つの形式があることが分かった。一つは男性/女性のカテゴリー対を提示上で用いることで男性が対象外であることを示し、生理用品というモノにつなげるやり方である。二つ目に、生理の実践を経てそれに関する知識を持つ人にだけわかる形で場面を提示することで、CM上のトピックが生理用品に関してのものであることを示す方法である。このやり方は、映画番組というジェンダーによって視聴者がセグメント化されない番組で起きていたことから、視聴活動の場においても生理用品のテレビCMを理解する/しないことで、ジェンダーカテゴリーの切り分けが起こっていたことが見出された。 以上の分析から、生理用品のテレビCMは、その理解に際した知識要求の仕方で、生理のある女性をターゲットオーディエンスとして分離した。同時に女性にとっては、それを理解するという活動そのものによって、自らの性別カテゴリーを自認する実践でもあったことが分かった。

  • ――EASS 2008を用いた中台日韓の比較社会学――
    伊達 平和
    原稿種別: 研究論文
    2015 年 60 巻 2 号 p. 75-93
    発行日: 2015/10/01
    公開日: 2020/06/20
    ジャーナル フリー

    本論文では、東アジアにおける排外主義運動の高まりを背景として、中国・台湾・日本・韓国の四地域において、家父長制意識と排外的態度の関連について比較分析した。データはEast Asian Social Survey(EASS)2008を用い、 主な独立変数に、家父長制意識の二つの要素である「父権尊重意識」と「性別役割分業意識」を用いた多変量解析を行った。その際、家父長制意識の効果が家父長以外の権威(リーダーの権威・上司の権威)への従属を示す「権威主義的従属」に媒介されるという点についても検討した。主な結果として、①日本と韓国において性別役割分業意識が排外的態度と関連すること、②日本では性別役割分業意識に加えて、父権尊重意識も関連すること、③家父長制の構造的な強さは排外的態度の地域レベルの強さとは関連しないこと、④概して家父長制意識は、「権威主義的従属」変数を媒介せず、独立して排外的態度と関連していることが明らかとなった。以上の結果より、日本と韓国の家父長制の構造が、中国と台湾に比べて強いために、家父長制を基盤とした権威主義的性格が形成されやすいという点を指摘した。また、日本のみ示された父権尊重意識と排外的態度の関連について、日本は父権に対して曖昧な態度を示す人々が多く、父権を選択可能な価値観として捉えているために、排外的態度と関連した可能性があると論じた。最後に中国と台湾では、家父長制意識だけでなく権威主義的従属との関連もみられなかったことから、これまでの権威主義の議論を東アジアの比較研究において単純に適用することの不可能性についても指摘した。

  • ――上海への移住労働者を作り出すメカニズムの視点から――
    松谷 実のり
    2015 年 60 巻 2 号 p. 95-113
    発行日: 2015/10/01
    公開日: 2020/06/20
    ジャーナル フリー

    国内の雇用再編の中で周縁化された若者の一部には、リスクを取ってチャンスにかける志向が見られる。その一例が、現地採用者として上海で働く若者である。彼らは日本企業の本社が派遣する駐在員とは異なり、人材紹介会社を利用して上海の日系企業と直接雇用契約を結ぶ。本稿ではメゾレベルの移住のメカニズムとミクロな個人の動機の交錯に注目し、現地採用という特殊な雇用制度の仕組みとそれが拡大してきた経緯を明らかにする。その上で、当該雇用制度の特徴と若者がそれを選択する理由との関係に言及する。移住システム論に依拠しながら、制度を整備した人材紹介会社、移住労働者を必要とする日系企業、制度を戦略的に利用しようとする若者の三者の関係に注目する。 人材紹介会社は、日本から若者を送り出す労働力の供給システムを整備した。日系企業は制度の整備を受け、企業内での従業員の再配置(=駐在員の派遣)から外部労働市場を利用した柔軟な労働力の取り込み(=現地採用)へと、雇用を流動化させつつある。この結果、日系企業の需要に合わせた特殊な労働市場が海外に形成された。日系企業の進出と撤退に伴い、この労働市場も短期間で拡大・縮小するが、移住システムの枠組は新たな資本投下先に移植されることで再生産されている。 他方で、若者は予測不可能な環境へ飛び出すことで、日本の労働市場における閉塞感を打破しようとする。彼らは自らの持つ資本と移住のコストやリスクを照らし合わせ、現実的かつ暫定的な戦略として現地採用を選択する。このとき、日系企業への労働力供給システムを貫く資本の論理と、潜在的な可能性に投機しようとする若者の積極性は、一時的に合致する。

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