ソシオロジ
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63 巻, 3 号
通巻 194号
選択された号の論文の14件中1~14を表示しています
論文
  • ――一九六〇年代初頭のモデルガンブーム――
    高橋 由典
    原稿種別: 研究論文
    2019 年 63 巻 3 号 p. 3-21
    発行日: 2019/02/01
    公開日: 2021/07/10
    ジャーナル フリー

    本稿は一九六〇年代初頭に少年たちを主たる担い手として生じたモデルガンブームを取り上げ、それを正確に記述することを通して、このブームの社会学的な含意を明らかにすることをめざす。 一九六〇年代初頭、少年週刊誌を主たる舞台として、戦争ブームが起こった。戦後十数年を経て突如生じたこの戦争への熱狂は、戦後史の観点からも社会学の観点からも興味深いものであり、研究者の関心を引いてきた。モデルガンブームはこの戦争ブームとほぼ同時期に生じたものであり、両者を合わせて考えると、この時期に、人間を殺傷する暴力への関心が少年たちの間で異様に高まったようにみえる。この文脈でモデルガンブームを考えることが、本稿の課題である。 モデルガンは収集を目的としてあるいは審美的理由で欲望されたのではなく、それを使って遊ぶために欲望された。 モデルガンブームの中心には、モデルガン遊びがある。モデルガンへのそのような一時的かつ集合的な熱狂は、当時国民的人気を博していたテレビ西部劇をきっかけとして生じた。モデルガン遊びとは、テレビ西部劇を再現する遊びにほかならない。その際の焦点は暴力なので、それは暴力の上演とよびうる。むろん暴力の上演には多様なものがある。モデルガン遊びという暴力の上演に固有の特徴は何か。この問いに対し、本稿は、作田啓一の虚構の重層化に関する議論、あるいは見立て忘却、体験選択といった筆者独自の概念に依拠しつつ、また上述の戦争ブームについての分析を深化させることを通して、鍵となるのは「アメリカ」ではないかという仮説を提示している。

  • ――タンザニア・ダルエスサラームの事例――
    仲尾 友貴恵
    原稿種別: 研究論文
    2019 年 63 巻 3 号 p. 23-40
    発行日: 2019/02/01
    公開日: 2021/07/10
    ジャーナル フリー

    自らの労働で生計を立てられない人々による経済活動である「物乞い」は、「自分がいかに悲惨な境遇にあるかを、金を恵んでくれる側にアピールすること」と同視されてきた。それを行う人々である「物乞」については、対面する人々とはほどんど会話もせず、困窮性の訴えに徹する存在というイメージが共有されてきた。しかし、こうしたイメージに反し、タンザニアのダルエスサラームという都市の路上では、彼らが朗らかに通行人と挨拶を交わし、談笑に興じる姿が見られる。 物乞いという営みの理論的説明を試みた先行研究は、それを匿名的関係性においてなされると前提して議論を蓄積してきた。しかし、この前提は人類学的研究をはじめとする経験的知見と矛盾する。先行研究は物乞いを「匿名的関係性において困窮性をアピールする営み」と「顔馴染みから支援を受けられる営み」とする二つの見解を提示したが、これらの接続作業は十分になされていない。 本稿はダルエスサラームの住民が一年以上に亘り同じ場所で行う物乞いに着目し、ここでみられる物乞―非物乞のやり取りを相互行為論的知見に照らして解釈することで、先行研究の溝を埋める作業に貢献する。本稿の分析から、常に相手を適切に尊重した所作を返すことで出会った相手との関係性をより友好的なもの、つまり、より継続可能なものへと維持または変化させる営みとしての物乞いの側面が明らかとなった。住民が継続的に行う物乞いとは、匿名的関係性を個別的なものに変化させ、その個別性の獲得によって、贈与が含まれる物乞いという営みの継続可能性を高めていくような、具体的文脈に即した個別的な相互行為の集積である。

  • ――批判的人類学の挑戦に学ぶ――
    鈴木 赳生
    原稿種別: 研究論文
    2019 年 63 巻 3 号 p. 41-58
    発行日: 2019/02/01
    公開日: 2021/07/10
    ジャーナル フリー

    本稿は、他者の包摂をうたう多文化主義思想において他者性が認められない逆説的状況を問題化し、批判的人類学の挑戦がこうした多文化主義思想の限界を批判し乗り越えていくために生かせることを主張する。この仕事は、「異質な他者といかに関係を築くか」という問いに応じるために異なる知の領域同士の生産的な協働をはかる、というより大きな研究プロジェクトの一部をなす。 この試みの一環として、本稿は人類学的批判理論家ガッサン・ハージの研究を再構成する。多文化主義に対する鋭い批判で知られるハージは、他者の排斥―包含の連続性を理論的に解明するとともに、この一組の統治機構にとらわれない社会関係を探究してきた。この探究に生かされるのが、自己とは根本的に異なる他者性を知ろうとする人類学の営為である。ハージはこの批判的人類学の営為に、異質な他者との別様な関係構築法を探る方途を見出す。本稿は「飼いならし」という鍵概念を軸に、乖離するかにみえる彼の多文化主義批判と批判的人類学を接続する。 最後にハージの議論に対する疑問を検討するなかで、彼の、そして本稿の議論の位置づけが明示される。自他の区分を前提とする立論は、そもそも両者の明瞭な区分などできず、その前提自体が人々のあいだに不要な分断を持ち込んでいるのではないか、と問われうる。本稿はこうした疑問を受け止めつつも、自他が暴力的に分け隔てられる政治的状況が議論の背景にあることを再確認する。そのうえでハージの批判的人類学、とくにその多現実論が提起する多元性のとらえなおしが、多文化主義思想の限界を超えていこうとする批判理論の再出発点を示していると主張する。

  • ――定義と文脈を「セット」で捉える試み――
    姚 逸葦
    原稿種別: 研究論文
    2019 年 63 巻 3 号 p. 59-77
    発行日: 2019/02/01
    公開日: 2021/07/10
    ジャーナル フリー

    一九九〇年代以降、学校におけるいじめ現象を根源的に理解するために、国際的な比較研究が実施されてきた。しかし、いじめ現象は多数の社会で長期にわたって、多様な定義を加えられて研究されたり、取り組まれたりしているため、通文化的・通時的な意味の多様性を呈している。そのため、いじめの本質的属性と考えられる要素を抽出し、普遍的ないじめ定義を制定しても、その定義の適用性の問題が繰り返し指摘されている。 本稿は、多様ないじめ概念を共通の枠組みで捉えるために、「家族的類似」という考え方を援用し、従来の普遍的な定義を代替できる新たな分析道具、すなわち「いじめの認識・対策セット」という新たな分析道具を提案する。いじめの認識・対策セットとは、いじめの言語的定義と、その使用が依存している認識と対策という制度的・歴史的文脈を「セット」にして捉える分析道具である。 試験的な分析として、本稿は文部科学省によるいじめ定義の歴史的変化を対象にして、一九八〇年代から現在まで文部科学省に使用された「逸脱矯正」、「心理支援」、「リスク予防」という三種の「いじめ認識・対策セット」を整理した。 「いじめ認識・対策セット」の導入によって、いじめの言語的定義だけで表しきれない意味が読み取れるようになり、同じ文言であっても、異なった「いじめ認識・対策セット」の下で異なった意味が付与されたということが見えるようになった。また、それぞれのいじめ定義では、「行為の逸脱性」、「客観的に検証可能」、「主観的感覚」などの属性は、表現や意味合いを変えつつも共通して含まれている。いじめ概念はこうした多様な使用実践の中で、様々な定義を産出したのである。

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