「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第5 次評価報告書第1 作業部会報告書(2013年)」では,地球温暖化については疑う余地がないことが示された。今後,気温上昇に伴う降雨量変動幅の増大,少雨の年の年降水量の減少,積雪量の減少などにより,将来の渇水リスクが高まることが懸念されている。
このため,これまで深刻な課題として捉えられていなかった,気候変動による水資源に対する新たなリスクを早急に認識し,いかなる対応策を講じていくか導き出すことが大きな課題である。とりわけ,東日本大震災で想定外の事象への対応が強く求められる中,超低頻度で社会に大きな影響を及ぼす超異常渇水(スーパー渇水と呼ぶ)への対応をあらかじめ準備することが不可欠である。
本稿は,将来の渇水リスクについて,自然現象面,需要面両面を考慮して,深刻化する恐れがあることを明らかにするとともに,危機的な渇水である,スーパー渇水(ゼロ水)を定義した上で,スーパー渇水の対応策を策定する上でのスーパー渇水の想定最大外力の設定方法の提示,スーパー渇水が及ぼす社会状況への具体的な影響・被害想定のもとに,スーパー渇水へのタイムラインを活用した対応イメージ(スーパー渇水対応行動計画(たたき台))を提示したものである。スーパー渇水に強い社会の実現に向け,「幅を持った社会システ ム」の概念導入,渇水調整ルール・未利用水の扱いなど抜本的な制度の見直しによる需要マネジメントの新たな提案を行う。さらには,これらの知見をもとに,徳島県における「事前渇水行動計画(タイムライン)」を策定,実践するあたって,渇水リスクガバナンスの構築を含め,スーパ渇水への対応の課題を明らかにした。
印旛沼は江戸時代以来,繰り返し干拓事業が試みられてきた湖沼である。しかし,その目的は不変ではなく,新田開発,国防,舟運と全国市場の形成,工業用水開発と,時代状況を色濃く反映して,干拓目的は変わってきた。他方で,首都(江戸,東京)近傍に位置するという地理的要因を反映し,干拓計画には時代を代表する技術者が関わってきた。享保の干拓には井沢為永,明治初頭にはファン=ドールン,ヨハネス=デ・レーケ,古市公威など,北総地域のローカルな関心を超えた,国家的関心が注がれてきたのである。 現在の印旛沼は,そうした干拓計画の到達点なのであり,その歴史には「時代のありよう」が色濃く反映しているのである。「変わりゆく目的と変わらぬ重要性」が,印旛沼干拓の近現代史である。
平成28年(2016年)4月14日と16日に発生した熊本地震では,南阿蘇村で土砂災害が多発し,同村立野地区においても多くの崩壊が発生するとともに,集落背後の森林内には多数の亀裂が残存し,地域住民から不安の声が上がっていた。 このような状況を踏まえ,これまで明らかとなっていない地震亀裂の発生メ カニズムやその危険性を把握するため,林野庁において亀裂のモニタリング調査が実施され,本県においても,専門的な知識を有する学識経験者等からなる「立野地区亀裂対策検討委員会」を設置し,林野庁によるモニタリング調査結果等を参考に,地震亀裂のメカニズム解明を行った。 地震亀裂のメカニズム解明を進めるなかで,亀裂が発生した「場(地形)」により危険度が異なることが判明したため,これらの条件を基に「亀裂の危険度判定フロー」を作成し,対策の必要性や対策方法を検討するとともに,地域住民に説明会等を開催し,不安を和らげるための取組みを行ってきた。
徳島県は,国土交通省が発表する都道府県別の土砂災害発生件数において,過去10年(2009~2018)の平均順位では22位であり,47都道府県の中間付近に位置している。 本稿は,歴史資料(古文書,徳島県史,市町村誌)調査,ヒアリング調査,現地調査を基に,主に江戸時代以降に徳島県で発生した大規模な土砂災害の事例を調査した結果を整理したものである。
小坂鉱山は,秋田県鹿角郡小坂町にあった鉱山である。文久元年(1861年)に地元小坂の農民により発見され,当初は銀山として操業していたが,明治35 年(1902年)に自溶製錬法による銅製錬が開始された。その銅製錬による排煙に含まれる亜硫酸ガス(SO2)によって煙害が発生し,木々は枯れ,緑の山々がはげ山に変わり,多数の崩壊地が発生し,森林が持つ保水機能が奪われた。 その被害は,小坂川や長木川流域を中心に,県北部の北鹿地方一帯約5万haに広がった。 このため,国有林において,特に煙害被害の大きい区域を中心に,明治43年(1910年)から煙害地にニセアカシアなどの耐煙性樹種の植栽を開始するとともに,大正5年(1916年)以降は荒廃した渓流や崩壊地に治山ダム工や植栽を中心とした山腹工の施工を続け,平成11年(1999年)までに約3,300ha の復旧事業を実施した。民有林では,昭和21年(1946年)から45年(1970年)までに約1,500haの復旧が行われている。 これらの積極的な水源林造成事業や復旧治山事業などの実施により,山々は緑を取り戻し,降雨の度に濁流となって一気に流下していた各沢も清流を取り戻している。