昭和47年, 日本専売公社の指導により日本の製塩業者は従来の製塩法から, 電気透析と多重効用蒸発からなる新しい方法に転換した.このプロセスでは, 大部分の電力はタービン発電機によって発電され, タービンの廃気が蒸発に用いられるもので, したがって変動費の90%以上がボイラー燃料によって占められるものである.
オイル・ショック後, 製塩業者の一員である当社は, ボイラー燃料をより安価なものに転換することを計画した.当社の場合, ボイラーは高負荷型 (約600kW/m
3) のものであるので, 難燃焼性の燃料をボイラー能力を下げることなく使用することは困難であった.
最初, 代替燃料としてユリカピッチと重油の50%混合物を用いることとした.これは, 重油の約80%の燃料費で, 満足な操業ができた.
次にさらに燃料費を削減するため, ディレードコークスを微粉砕したものを, とくに開発した予備燃焼炉を用いて使用することとした.操業の初期には種々のトラブルがあったが, それらの対策を行い, 現在, 当初のボイラー能力を下げることなく, 重油の約40%の燃料費を享受することが可能となっている.
抄録全体を表示