アジア大陸からの大量の大気汚染物質の排出は、我が国の日本海側地域において越境大気汚染を引き起こした。本稿では、アジア大陸の風下地域、すなわち、日本海側に位置する長岡観測所における硫酸沈着を評価した。我々は長岡観測所で28年間、降水による硫酸沈着量とその硫黄同位体比、また、発生源と周辺地域で使用されている石炭と石油の硫黄同位体比を測定してきた。降水中の非海塩硫酸イオン(nss-SO42−)の硫黄同位体比(δ34Snss)は0.0から+6.2‰の範囲にあった。観測所の周辺発生源と中国の石炭硫黄の同位体比は、それぞれ負の値と正の値を示した。研究期間中の非海塩硫酸の沈着に関して、いくつかの統計的に有意な傾向が観測された。1980年代半ば以降のnss-SO42−沈着量の減少は、期間中に比較的低いδ34Snss値を示したことから、ローカルな人為的SO2排出量の減少によって引き起こされたと考えられた。1990年代の終わりから2000年代の後半にかけてのnss-SO42−沈着量の増加は、δ34Snss値がこの期間に上昇し、冬の値が中国の石炭硫黄の平均値に近づいたころから、中国のSO2排出量の増加が原因であると解釈された。2000年代半ばからのnss-SO42−沈着量の減少傾向は、期間中のδ34Snss値の低下から判断すると、中国のSO2排出量の減少の影響を受けた可能性がある。物質収支計算によると、1990年代には中国での石炭燃焼によって放出された硫黄が長岡の年間総硫黄沈着量の約40%を占め、2000年代半ばにはその寄与が最大60%に上昇したことを示した。そのピーク以降、排出量の変化に調和して中国からの寄与は減少に転じた。
炭素成分からなる炭素質エアロゾルは、微小粒子状物質(PM2.5)など大気エアロゾルに占める割合が大きく、その発生源対策がPM2.5の削減に有効であると考えられる。しかし、炭素質エアロゾル、中でも有機エアロゾルの変質過程や起源は複雑であり、その実態解明が大きな課題である。本稿では、筆者がこれまでに取り組んできた、有機トレーサー成分の高時間分解測定手法の開発・評価、人為起源二次生成有機粒子の新規トレーサー成分の開発、放射性炭素や有機トレーサー成分の実態観測とそれらを用いた炭素質エアロゾルの発生起源解析に関して概説する。特に、起源解析については、バイオマス燃焼と二次生成有機粒子に着目して述べる。また、トレーサー成分に関する課題や展望についてもまとめる。
Land Use Regression(LUR)モデルは、大気汚染物質による健康影響の評価において用いられている。本研究では、大気汚染物質濃度が気象条件に大きく影響を受けることを踏まえ、日本国内を対象とし、気象モデル推定値を取り入れたLURモデルを作成し大気汚染物質の空間濃度分布を推定することを目的とした。この目的のために、気象モデルWRFを用いて詳細な気象場の空間分布を求めてLURモデルの説明変数候補とし、PM2.5およびNO2の月平均分布の推定を行った。回帰モデルの構築にはRegression Kriging法およびSupport-Vector-Regression(SVR)法の2手法を用いた。作成されたLURモデルにおいて、すべての月でWRFにより推定された気象場に関する説明変数が高い重要度を持って選択された。また、PM2.5およびNO2ともに決定係数が0.7程度と気象場を全く考慮しないモデルと比較して高精度の濃度分布が得られた。また、回帰手法の違いによる推定精度への影響は、NO2について顕著であり、SVR法にによって推定精度の向上が認められたが、PM2.5についてはSVR法が有効であるとはいえなかった。そのため、新たな説明変数の追加や新たな説明変数の追加などによって、より高精度の推定が可能になれば機械学習手法を用いたLURモデルの構築の長所がより明確になると考えられる。
日本では人為起源揮発性炭化水素濃度が減少傾向にあるにもかかわらず、大気中オゾン(オキシダント)濃度が増加傾向にあるとの指摘がある。光化学オキシダント(Ox)は人体を含む生物に対する毒性を有することから大気濃度の低減が強く望まれてきた。その削減戦略では、基準年のVOC排出量の3割削減を実現すれば、Ox注意報発令レベル未超過が約90%まで上昇することが期待されたが、現状では4割の削減が進んだにもかかわらず、環境基準の達成率は低い水準を推移している。この予測と現状の不一致の原因として、予測モデルの持つ化学反応メカニズム・輸送過程・前駆物質排出量見積もりの不確実性が指摘されている。それらを解消するための室内実験、野外実験、モデル計算とその改良の研究計画と期待される研究成果が話された。参加者数は世話人の把握では、約120名であったが、大気環境学会事務局の把握では、約150名であった。
以前から、大気汚染の増加と空気中に浮遊する生物由来成分を含むエアロゾル(バイオエアゾル)の増加には正の相関が見られることなどが報告されていたが、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)による感染症の蔓延、健康被害において、大気汚染問題との関連性を示唆する研究報告が欧米であり、統合的なアプローチの重要性がより明確に示唆されている。結核などを含むバイオエアロゾル研究の重要性、N95レスピレーターなどの使用に際して留意する必要性、現在増加傾向にある肺MAC症の地域差、加湿器由来バイオエアロゾルによる肺の疾患などが存在している。また、大気中に存在するPM2.5などの粒子状物質が肺の免疫機能を活性化することなどから、より詳細なPM2.5などの微小粒子の物理化学的な特性を検証することは重要である。大気環境中のエアロゾルやその中に含まれる大気汚染物質の問題、感染症の問題への対策は大気環境科学と医学のワンヘルス的な取り組み、協働体制の重要性が再認識された。参加者数は大気環境学会事務局の把握では126名であった。
2021年9月に開催した第62回大気環境学会年会において、年会実行委員会では株式会社ROKI 公開シンポジウム「COVID-19と大気環境」を企画した。このシンポジウムでは、世界的な大問題となっている新型感染症COVID-19と大気環境の関わりについて多様な分野の専門家にご講演いただくことで、今後の大気環境研究の展開や関連分野との連携可能性を展望することを目的と設定した。
冒頭の基調講演では早稲田大学の森本英香先生に、環境法・環境政策の専門家の立場から、大気環境の歴史も踏まえてCOVID-19と大気環境の関係を俯瞰的にお話しいただいた。その後、リスク評価、環境衛生学、環境医学、大気化学モデリング、人文社会学、地方環境行政を専門分野とする6名の先生方にご講演いただいた。これら全7題のご講演では、新たな大気環境リスクとしてのCOVID-19感染症、SARS-CoV-2ウイルスの空気感染経路、大気汚染暴露がCOVID-19感染に及ぼす影響や機序、感染症対策が大気環境に及ぼす影響、気候変動とCOVID-19の根本要因の共通性、感染症や環境問題などに連携して取り組むワンヘルスの概念と実践など、多種多様な論点をご提示いただき、改めてCOVID-19に関わる大気環境研究の重要性が示された。
なお、シンポジウム当日は一般参加者を含めて全国から計293名にご参加いただき、活発に質疑討論がなされた。改めてご講演者、参加者の皆様に感謝いたします。また、本シンポジウムにご協賛いただいた株式会社ROKIには深く御礼申し上げます。