一般に大都市近郊の戦後開拓地では, 一部の市街化区域外で自立農業経営が卓越し, 農業の専門化と高度化が図られてきた。このような事例が見られる反面, 多くの市街化区域内では商品生産としての農業が停滞し衰退する傾向にあり, 農業的土地利用から都市的土地利用への転換が進むにつれて, 兼業が深化し, 農業の生産組織は崩壊しつつある。
一方, 大都市近郊外縁部の戦後開拓地おいても, 同様に農業の停滞, 都市的土地利用への転換, 農業生産組織の崩壊, などの傾向が認められる。本研究で事例とした大八洲開拓も, 公団住宅団地の建設により, 一部の集落が移転を余儀なくされた。しかし大八洲開拓の農家は, 経営規模を拡大し, 収益性を高めることによって, 自立農業経営を達成させてきた。本研究の目的は, 戦後開拓地の一般的事例と異なる大八洲開拓が自立農業経営を達成できた要因を, 移転後の農業経営などから検討することにある。
大八洲開拓における農業経営の自立化は, 補償交渉をはじめ土地の貸借など, 農家が開拓農協と一体となって対応したことや, 満蒙開拓以来の人的紐帯が今日まで維持されてぎたことなどによるものである。また, この開拓地が大都市近郊外縁部に立地するにもかかわらず, 脱農化を図った組合員の農地を, 別の組合員の規模拡大にあてるなど, 農地が開拓農協の組合員以外に流出することを防いだ点も見逃せない。
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