吉原市, 旧富士市, 鷹岡町の2市1町による対等合併が行われた静岡県富士市を事例として, 合併以降の都市空間の変容と都市計画との関係を明らかにした。
合併交渉の過程で最も大きな障害となったのは吉原市と旧富士市の確執であった。この両市の確執は, 合併後の都市計画の方針に大きく影響を与えることになった。新富士市では, 工業整備特別地域の指定のもとで工業開発が優先されるなか, 合併後の多極構造を解消することを目的として, 吉原, 富士の両既成市街地間における新都心の建設計画が策定された。これは, 吉原, 富士旧両市のバランスを考慮した結果であり, その後の富士市の都市形成に大きく関わっていくものであった。
吉原, 富士の両市街地間では, 行政主導により土地区画整理事業が進められ, 各種公共施設が重点的に設置されていった。これにより行政・文化機能を有する新市街地が形成され, 当初分離していた吉原, 富士の両人口集中地区も連接した。一方で, 既成市街地の再開発が継続して行われていった。富士市では合併以降に公共事業の地域的分散が進み, 市街地の形態や中心性の面でより分散した様相を呈するようになったといってよい。
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