福島第一原子力発電所事故の教訓を受けて、新たな原子力安全規制機関が設置された。深層防護は、原子力安全の基本的考え方であるが、その実効性を確保するためには、大規模な自然現象に伴う共通原因故障の取り扱い、過酷事故対策の実効性確保、原子力防災と緊急時対応への備え、さらに不完全な知識に伴う不確実さのマネジメントに加え、多くのステークホルダの間の対話等に多くの課題がある。安全神話の復活を許さず、事業者の主体的な行動変容を促し、原子力規制機関自体が継続的な改善を進めるためには、より強固な重層的体制の構築が求められ、学術界においても超学際研究を進めていくことが必要となる。
福島第一原子力発電所事故(1F事故)から10年が経ち、1F事故の反省から深層防護に基づく安全規制が強化された。原子力を推進する経済産業省(経産省)から分離した原子力規制委員会が安全規制を司る体制に変更され、規制関連の組織の機能と事務は原子力規制委員会に一元化された。原子力発電所および核燃料施設に関する安全規制として新規制基準が制定され、27基の原子力プラントが再稼働を許可されており、安全規制は生かされつつある。しかしながら、科学的、技術的に安全性が証明されてもそのデータのみでは安心は得られない。原子力の安全・安心は技術的な側面と社会科学的な側面があり、安心は信頼がないと成り立たない。信頼を取り戻すには、政治的な決定プロセスを公開で実施することにより透明化し、広く意見を聴く機会を設けることが重要である。原子力に関心を持って下さる方々とまずはできるところから双方向コミュニケーションを始めることが信頼を取り戻す第一歩となるのではないか。
エネルギー自給とカーボンニュートラルの両立という野心的な目標を目指す上で、安定的で安全で安価なエネルギーの供給が重要である。エネルギー自給には供給体制を多層的に構成してレジリエンスを高めていくことも重要である。エネルギー源はそれぞれに強みと弱みを持っており、安定的かつ効率的なエネルギー需給構造を支える単独のエネルギー源は存在しない。安定供給が確保される需給構造を実現するためには、エネルギー源の強みが最大限に発揮され、弱みが適切に補われるよう、各エネルギーの自律性や強靭性、強みと弱みを評価し、それをふまえた柔軟な施策が求められる。原子力はエネルギー自給と脱炭素へ貢献する。エネルギー確保とカーボンニュートラルの両立は、原子力エネルギーを活用せずしてはなしえない。幅広い視点でエネルギー問題を総合的・俯瞰的に考えることが不可欠であり、原子力を安全に持続的にどう利用するのか、今こそ正面切った議論が求められる。
原発事故の発生した2011年の11月から、被害の実態を明らかにし、各層における復興の取組みを報告してもらい、検討を加える「ふくしま復興支援フォーラム」を、7人の呼びかけで開始した。2022年3月までに、195回を数えた。本稿では、このフォーラムの取組み、及び取り上げたテーマのジャンルを紹介した。
その特徴は、福島県内を中心に、大学研究者のみならず、広範囲な第一線で従事する実践家の報告が多かった。そのことが、住民目線での施策に引き上げる効果を持った。特に、復興の目的を、「人間の復興」に近づけるものであった。復興に向けての住民参加が必要であるが、本フォーラムが、その役割を一部果たすことができた。
2021年4月、政府は廃炉に伴う汚染水を処理し、トリチウム水の形で海洋放出することを決めた。ALPS小委員会では海洋放出すれば「社会的影響は特に大きくなる」と指摘されていた。それを、政府が決めるのであれば、①元の汚染水と処理水との違いやトリチウムについての国民の理解が深まる、②それを踏まえて地域の漁業者らと対策を協議したうえで合意に至る、③今も輸入を制限している周辺諸国に日本政府が説明して理解を得る、という三つの課題を達成する必要がある。福島県漁業は、2021年3月に試験操業を終了し、同年4月1日に本格操業に向けて新たなスタートしたばかりであり、最悪のタイミングであった。廃炉を進めることと復興を妨げることが同時に行われてはならない。被害地に更なる困難を与え続けることにならない政策が必要である。
国際的な防災政策において、社会によって作り出された脆弱性と災禍が掛け合わされて生じる被害として、災害を捉える認識が定着している。この脆弱性が大きい場合に、災害時の被害が深刻になるだけでなく、長期的な復興を困難にし、次なる災害にも脆弱となる問題が指摘されてきた。本稿では、脆弱性をもたらす数多くの要素のなかでもジェンダーに注目し、2011年3月11日に発生した東京電力福島第一原子力発電所の事故を事例として、女性たちの被災経験と支援ニーズが不可視化されている結果、被害の実態把握が困難になっている問題について考察する。
社会は、地球環境対応による施策展開や新たな技術開発により、その進むべき方向や構造が大きく変化しようとしている。この変革の中にある社会は、多様なインパクトを持つリスクが潜在する社会でもある。リスクは、その社会状況や環境の変化によっても変化してくるため、社会技術システムを評価の対象とするリスクや分析・評価手法も見直す必要がある。
本論では、まず、エネルギーシステムの検討すべき要件を社会技術システムの社会実装要件として整理した。そして、この検討フレームにおいて、エネルギーシステム全般に検討すべき事項と原子力システム特有の問題に整理した。また、原子力発電システムの社会実装に関する検討要件に関しては、個々の原子力の施設やシステムではなく、原子力発電事業として評価するための要素として整理を行った。
核燃料サイクルは、原子力発電所から排出される「使用済み燃料」から再処理によりウランとプルトニウムを回収し、再利用することである。開発当初は、高速増殖炉(FBR)の開発を目標としていたが、主に経済性の理由で多くの国は撤退した。日本は「全量再処理」政策を現在も維持しているが、FBRの商業化の見通しが立たず、プルトニウムを既存の原子炉で利用する「プルサーマル」も予定通り進んでいないため、約46トンものプルトニウムを抱えることになった。最近は、放射性廃棄物の減容や毒性低減が再処理の利点として挙げられているが、その科学的根拠は薄い。プルトニウムは核兵器の材料にもなるため、安全保障上の重要な課題として考えられている。経済性はもちろん、安全保障や地域社会との関係も含めた再評価を、独立した機関で評価すべきだ。原子力発電所の将来については、競争力の低下により気候変動に果たす役割は限定的なものになりそうだ。
原子力発電のコスト問題は、発電コストに関する問題と費用負担問題の二つに大別される。前者については福島原発事故発生後の政府の検証が進み、2021年には標準的ケースで11.7円/kWh以上とされた。事故リスク対応費用に関して考慮されていないものがあることから、発電コストは今後も上昇する。一方、費用負担についてみると、電力自由化以前は税と総括原価方式の電気料金を通じて、また電力自由化以降は託送料金も加わり、非常に複雑な制度によって追加的費用が国民・電力消費者に転嫁されてきた。原子力発電が経済性を失ってもなお存続しうるのは、この費用負担の仕組みによって事業者の費用負担が軽減されているからである。事故費用や再処理費用等が引き続き増加し続ける中、原子力発電は費用面から改めて見直されるときにきている。
原子力発電所の安全を守りつつ正常に稼働させるのに必要な、科学的知識、技術的知識、それに加えて保存された経験知識の、蓄積と使用に関する状況という視点で考える。筆者は工学の分野にいて、原子力工学は専門ではないが、原子力用ロボットの試作、保全知識の体系化研究、数回の原子力事故に関係する委員会や廃炉関係委員会における議論など、いずれも原子力の安全にかかわる課題につき様々な議論をする機会があり、原子力の安全という目的を支える知識とは何かを常に考えていた。そして福島第一発電所の事故を経験して、そこには学問の世界で検討しなければならない重要な課題を見ることになった。それは人類が産業革命以来、豊かさを人工化によって達成するという方式を確立する中で、学問は新しい豊かさを作り出すために有益な知識を提供するものと位置づけられ、結果として人工物が氾濫する世界を作り出した。人工物の、作られ、使われ、そして廃棄されるという特徴は自然物にはなく、伝統的に自然を対象としてきた学問の世界では、それらに対しわずかな注目しか払わなかった。人工物である原子力発電所の事故が現在の学問領域が作る知識の構造と関連するという理解のもとで、本稿はこれから求められる学問の在り方について触れる。