戦後日本は、奇跡的とまで言わしめた経済成長を達成し、その背景にはジェンダーによって明確に分担される役割配分構造があった。戦後75年を過ぎた今も当時のジェンダー規範を温存し、諸制度の前提と位置づけている状況を根本から見直すには至っていない。それゆえ、女性の高学歴化が進んでも労働者として公平、正当に評価されてきたとは言い難い過去を引きずり、コロナ禍にあって大きなジェンダー格差が露呈した。本論では、家庭内性別役割分担、女性の働き方、女性内格差と、生活保障機能を提供する親密圏としての家族の在り方、について議論する。
男女間に加え、女性内、男性内の年齢、配偶関係、家族関係、さらには人種による格差の存在は、社会の分断をさらに進めることになる。本稿では、ポストコロナに向けた包摂的な社会を考えるためにも、何がいま起こっているのかを改めて確認し、議論することの意味を示す。
新型コロナウイルス感染症の持続的な流行は、女性の暮らしに甚大な影響をもたらしている。女性や女児に対する暴力が国境を越えて増加している状況は、「影のパンデミック」と言われ、各国での対応の必要性が指摘されている。そこで、本稿では、まず、コロナ禍において政府が新たに取り組んだ女性への暴力に関する相談支援を紹介した。そのうえで、平時からいかなる相談支援体制が求められているのかという点について、女性への相談支援の公的な専門職である婦人相談員に焦点をあて、その高度な専門性と役割の重要性を確認した。しかしながら、法的な根拠が脆弱であるために、婦人相談員の配置状況には地域格差が大きく、配置の促進と処遇改善による支援体制の構築が急務であることを指摘した。
新型コロナウイルスのパンデミックが家族生活に及ぼす影響を整理するために、まずは日本の家族および世帯の50年間の推移を概観すると、男性稼ぎ手型の「標準家族」が一部で持続しているのと並行して、単身世帯の増加などの多様化が生じていることが確認できる。新型コロナの影響のあり方はこうした多様な家族・世帯に応じて異なっており、行政等の対応もこの多様性に配慮すべきである。また新型コロナは、家族の健康管理といったみえにくい家庭内無償労働の女性への偏りを顕在化させ、家族外の人との接触を制限することで女性へのDVリスクを高めたり、メンタルな満足を低減させている可能性がある。新型コロナの問題は、同居人以外との接触制限というこれまで目立ってこなかった措置の結果であり、その影響は通常の経済不況とは違って見渡しにくく、十分な現状把握のもとでの問題の整理が必要である。
本稿では、政府の対策に関与した立場から、日本の感染状況、ワクチン接種、診療に限定して、ジェンダーの視点から現状と課題を振り返る。第6波では、高齢者施設等での集団感染が多発し、新規感染者の女性比率が男性を上回り、ケア労働に従事する女性と高齢女性の感染防止や集団感染発生時の支援に課題を残した。ワクチン接種は、男性より女性の接種意向が低いが、接種しやすい環境整備など施策強化が必要である。診療では妊婦を中心に感染や重症化リスクが検討されたが、遷延症状に悩む女性が信頼できる診療と職域復帰支援の体制が必要である。今後、社会経済活動を優先する対策への転換に伴い、感染制御とケア労働の責務を負った女性の負担はさらに高まることが予想される。地域差のない迅速な相談支援体制の確立とともに、ピアサポートを通じて新たな知恵の創出と分かち合いが進むことを願う。
どのような「パンデミック政治(politics of pandemic)」を展開してきたか。公衆衛生や医療の知識は生かされたか。国際政治の視点からは、国際社会の分断と国際協力の困難が顕著となった。比較政治の視点からは、2020年に感染抑止に成功して評価されたのが、東アジアの「開発主義国家」と、女性リーダーに率いられた先進民主主義国である。トランプ政権下の米国など、新自由主義的な経済政策と排外的なナショナリズムを掲げる政権下の諸国は甚大な被害を招いた。ジェンダーの視点からは、女性のディスパワーメントが深刻化したが、逆に女性のエンパワーメントも進んでいる。ワクチン接種が焦点となった2021年、徐々にコロナ後に進み始めた2022年を経て、権威主義的国家の機能不全も露呈しつつあり、民主主義と国際協力を促進する過程こそが、自由な議論と国民的合意に基づき、危機を乗り越える適切な科学的対処を可能とするのではないかと考えている。
コロナ禍はケアのニーズを急増させたが、ケア提供者が休業、辞職、失業に追い込まれる事態をもたらした。ケア提供者がケア実践に集中するために誰かに経済的に依存せざるを得ない「二次的依存」が生じたからである。ここから脱するには「ケアの権利」が保障される公共政策が実施される必要がある。本稿は諸外国ならびに日本で展開したケア支援に関する政策を概観し、日本の施策が手薄であったこと、とりわけ事業主に対してケアのニーズを恣意的に裁定する権限を与えている点を問題視する。ケアを承認し、その報酬を高めていくには、ケアの代表が適切になされる必要がある。もっとも、緊急事態において当事者が組織化し政治に声を届けることは容易ではない。その意味で学術知が果たす役割が大きいことを指摘する。
東日本大震災を契機に災害研究から学んだのは、災害被害は「自然」ではなく個人や社会の脆弱性との合作であること、人的被害は女性により大きいこと、女性の権利保障が低い社会ほど被害のジェンダー格差も大きい、という点だった。病原体による疾患の蔓延も災害に含まれる。権利保障など政府の制度政策や社会の慣行などにより、災害への脆弱性は異なり、ジェンダーで偏る。不適切な対処策が被害を広げることもある(対策禍)。
物的被害を含む被害についても指標が作られているが、性別の把握はない。新型コロナウイルス感染症による死亡数では、男性が多いと報告されているものの、過少報告が問われるべきである。超過死亡の推計が国際的にも国内でも発表されており、コロナ関連で日本の過少報告は世界的に見てはなはだしい。超過死亡の推計にも性別の把握はなく、経済的打撃や心理的負担を含めたコロナ禍のジェンダー分析は緒についたにすぎない。
国連人権高等弁務官事務所はCovid-19の世界的蔓延への対応における人権の観点の重要性を強調してきた。比較的初期の段階で公表された『Covid-19ガイダンス』からジェンダーは主要テーマに位置づけられており、『Covid-19と女性の人権』や『Covid-19とLGBTIの人々の人権』などの個別のガイダンスも公表してきた。もっとも、取り上げられている人権課題はCovid-19により新たに生じたものではない。むしろ、Covid-19によってより鮮明に炙り出されたジェンダー格差であり、取り組みが不十分であった人権課題の表出ともいえる。Covid-19により増幅された脆弱性を前に、国際人権法における豊富な議論の蓄積に注目が集まっている。
この10年の間に急速に研究開発が進んだ機械学習技術は、現代人工知能の根幹であるとともに、全産業分野、全学術分野に大きな影響を及ぼしつつある。並行して進行しているDX化(デジタルトランスフォーメーション)とともに、世界のデジタルツイン化に大きく貢献すると期待される。本稿では、新しい未来社会像の中で、生存情報学の持つ意義と果たすべき役割について論じる。
介護が必要になっても生き延びるとは、身体的な生きるだけではなく、精神的にも生きるということも伴って、はじめて生き延びると言える。介護レクリエーションは、高齢者の生活・人生の質(QOL)を高めるためにも、日常生活の動作(ADL)を高めるためにも有効である。一方で、介護現場における人材不足は深刻であり、その充実を介護従事者のみに求めることは困難な状況にある。そこで、様々な情報技術を活用することで、介護従事者以外の人も時間や場所の制約を受けることなく高齢者の笑顔につながる取り組みを実施することが実現できる。さらには、高齢者自身が情報技術を活用することで、介護が必要な高齢者を支えることも可能になる。例えば、介護ロボットやオンラインを活用した介護レクリエーションを高齢者がおこなうのである。このような情報学を身に着けることによる社会参画は高齢者の生活・人生の質を高めることにつながる。
人間は、情報の与えられ方で判断を変える。たとえば手術を受けねばならないときに、ふたつの手術プランを提案されたとする。A案:手術を受けた100人のうち、1年後に90人が生存している手術、B案:手術を受けた100人のうち、1年までに10人が亡くなる手術。どちらの案を選ぶかを調査すると、どちらも同じことをいっているにもかかわらず多くの人がA案を選ぶ。数字の見せ方で判断が変わるこの例を「フレーミング」という。情報の与え方で非合理的な判断や認知をすることを「認知バイアス」といい、このようなバイアスはほかにも数多くある。
人間は、「信号」のやりとりをするコンピュータと違い、「情報」の受け取り方にクセがある。そのクセを理解しなければ、自然環境と調和し、持続可能な社会を目指す合意を形成することはできない。環境や社会、人間の生存をまもるための道具として情報が活用されるためには、人間の情報処理の特性を理解する必要がある。
人間の認知情報処理を科学的に理解し、その知見を人間の生存に関わる情報技術にどのようにいかしていくかについて考察する。まず、認知科学の知見を利用し、人間の脳情報処理をハッキングすることで、通常では不可能と思える感覚情報の生成や編集が可能となった例を紹介する。次に、人工神経回路に大量のデータを機械学習させることで人間並みの認知能力を示すようになった人工知能が、人間の脳の情報処理の研究にいかに影響を受け、またいかに影響を与えているかを説明する。そして、人工知能と人間の認知情報処理における差異を縮め、また人間に関する幅広いデータを活用することにより、人間の情報処理過程をコンピュータ内でシミュレーションするヒューマンデジタルツインというアイデアを説明したのちに、このヒューマンデジタルツインを使って生存のための情報学を発展させていく将来構想について述べる。
デジタル空間と現実空間とが融合し、人々が空間を超えて社会的活動を行うメタバースの時代において、人々が個人の身体の制約や限界に囚われることなく自由自在に行動することができる「もうひとつの身体」を実現すべく、ムーンショット研究開発事業「身体的共創を生み出すサイバネティック・アバター技術と社会基盤の開発」では、人々が自身の能力を最大限に発揮し、多様な人々の多彩な技能や経験を共有できるサイバネティック・アバター(CA)技術の研究開発に取り組んでいる。技能や経験を相互に利活用する際の制度的・倫理的課題を考慮して、人と社会に調和した、身体的な技能や経験を流通する社会基盤を構築し、CAを通じて人と人との新たな身体的共創を生み出し、誰もが自在な活動や挑戦を行える、2050年の多様性と包摂性の高い未来社会の実現を目指す。
「身体」を情報学の観点から理解する研究分野が「身体情報学」であり、情報学として身体性を理解することで新しい価値を設計することを目指している。身体は、これまで物理空間に存在するものだった。物理空間でうまく動けるように身体は発達し、身体によって生活空間が作られてきた。しかし、今後のサイバーフィジカル社会では従来と異なる「身体」が必要なると考えられる。その新しい身体のひとつの形が「自在化身体」である。自在化身体には5つの新しい身体が包含されている。情報革命により「脱身体の時代」を迎えているが、行き過ぎた脱身体の次は「ポスト身体の時代」が到来する。自在化身体を用いて、身体のDX(デジタルトランスフォーメーション)を実現する時代である。新しい身体を生かした身体のDXを研究していく中で、人間の能力の本質が環境や他者との相互作用にあり、環境から能力を制御できることが明らかになってきた。
インターネットが発達し、人工知能が社会システムに浸透してきた現在、サイバー・フィジカル空間の融合が進み、人の分身となって人間の様々な能力を拡張するロボットやアバター(Cybernetic Avatar、以下CA)も普及し始めている。これまで社会に参画することが困難だった人々もCAを用いて遠隔で仕事をすることが可能となるなど、ダイバーシティ&インクルージョンも進んでいる。一方、このCAの使い過ぎにより大量のエネルギーが消費され、地球環境に悪影響を及ぼすことや、社会に格差が生まれ精神的なストレスを生み出すことが明らかになっている。そこで日本学術会議情報学委員会環境知能分科会では、情報学はこれまでの枠組みを超え、心理学、哲学、医学、経済学など、さまざまな学術領域と融合しなければこれら問題を解決することができないと考え、「人類と社会が生き延びるための情報学」として、「生存情報学」という新しい領域を提案する。本稿ではこの「生存情報学」の解説を行う。尚、本内容は日本学術会議に見解として提出している。