輸送の形態は、観光地における日常的なミクロなモビリティーズと同様に、観光者の国際的な移動に対しても様ざまなアフォーダンスを与える。モビリティーズ研究の重要な議論―それは、輸送が移送や到着といったことにとどまらず身体的かつ感覚的な経験を有し、輸送の様ざまな形態が場所に関する様ざまな具体的な地理感覚や感情的経験をもたらすという点にある(Urry, 2007)。しかし、観光者の経験に対して持っている輸送の重要性は、観光研究においてほぼ等閑視されてきた。それはただ単なる移送として、すなわち希望する目的地にまで到達するための必要悪として理解されてきたのである(Larsen, 2001; Edensor & Holloway, 2008; Butler & Hannam, 2012等の例外はあるが)。本稿では、観光のコンテクストにおいて都市のサイクリングが、いかに理解し得るかを考察するつもりである。
その際、エスノグラフィーの場として、コペンハーゲン(私のホームタウンである)、アムステルダム、ロンドン、ニューヨークという4つを挙げる。コペンハーゲンのものは、観光のアトラクションで観察したものであり、年齢も様ざまな、海外からの「サイクリング・ツーリスト」のグループやペアに対して行った30のインタビューにもとづいている。
これらを通じて、いかに(異なった)都市がバイクにおいて身体的にパフォームされ、知覚され、経験されるのかを明らかにしたい。「バイクのまなざし」で特徴的な点は何か?その観点からすれば、サイクリングに積極的な都市と、そうではない都市において、サイクリングの感情的・情動的な苦痛や快楽はどのようなものになるのか?どういったサービス、デザイン、「場所の神話」(Shields, 1991)が、サイクリングを促すのか(あるいは妨げるのか)?このような問いに答えつつ、私は、2つの異なる種類の研究に寄与したいと考えている。一つは、「観光のパフォーマンス」に関する研究である(Edensor, 1998; Haldrup & Larsen, 2010; Urry & Larsen, 2011)。もう一つは、「具体的な自転車によるモビリティーズ」に関する研究である(Jones, 2005, 2012; Spinney, 2006; Larsen, 2014)。どちらの研究も、いかに人びとがモバイルなパフォーマンスを行うのか、そしていかにモノ・「システム」・デザインされた場所が一定のアフォーダンスを示し、別のアフォーダンスを示さないのかに関わるものであると言えよう。
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