島しょ医療研究会誌
Online ISSN : 2435-9904
4 巻, 1 号
選択された号の論文の6件中1~6を表示しています
  • 鈴木 謙三
    2012 年 4 巻 1 号 p. 2
    発行日: 2012年
    公開日: 2021/07/25
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  • ~平成 23 年 3 月 23 日から 3 月 27 日気仙沼大島での活動~
    深水 和子
    2012 年 4 巻 1 号 p. 3-8
    発行日: 2012年
    公開日: 2021/03/11
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     今回,東日本大震災から約 2 週間後の平成 23 年 3 月 23 日から 3 月 27 日に気仙沼の大島で,医療救護班の活動を行った.気仙沼の大島は気仙沼湾内に位置する周囲 24km,人口約 3,200 人の東北最大級の離島である.大島で,我々は,避難所でありつつ,保健室で診療を行っている大島小学校で活動を開始した.船の運航の都合により島での活動時間は診察が午後二時までと限られており,その時間内でなるべく多くの患者さんを診るということが非常に重要であった.診療所内は,医療救護班が持ち込んだ物資が散乱し,作成したカルテが整理されていないため見つからない,代薬探しに追われるなどの混乱の中で始まった活動であった.  診療所に訪れる患者さんの多くは慢性疾患を患っており,継続的な薬の処方を希望する患者さんが約 9 割を占めた.診察室内にある限られた薬剤の中で,代用する薬剤の選別や雑然とする診察室内での薬剤の整理など,医療救護活動における薬剤師の役割は非常に重要であり,医師の診療の効率化に大きく貢献した.  また,大島はライフラインの復旧見込みが立たず,衛生面の状況がよくなかったため,感染症予防を行う必要があるとともに,被災者は我々が想像する以上の精神的なダメージを受けていると考えられ,精神的な介入が早期から必要であると認識した.
  • 〜今後の利用への展望と課題について〜
    落合 紀宏, 長島 健太郎
    2012 年 4 巻 1 号 p. 9-15
    発行日: 2012年
    公開日: 2021/03/13
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     2010 年 10 月に島しょ基幹病院である広尾病院と各島しょ医療機関を結ぶ画像伝送システムが新シス テムに更新された.新システムでは,新たに Web 会議システムが導入されたため,本システムを利用 して,広尾病院と各島しょ医療機関が参加した症例カンファレンスを行った.今回のカンファレンス では好評価が得られ,今後の定期開催も検討されるべきであると考えられた.
  • 高崎 雅宏
    2012 年 4 巻 1 号 p. 16-27
    発行日: 2012年
    公開日: 2021/07/19
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  • 小山 茂
    2012 年 4 巻 1 号 p. 28-35
    発行日: 2012年
    公開日: 2021/07/19
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     青ヶ島は島全体が黒潮の流れに包まれ、現在も海上の交通が困難な島である。  この島が、有史以来伊豆諸島で最も深刻かつ教訓的な自然災害を経験した島であることを知る人は少ないだろう。1785 年(天明 5 年)に発生した大噴火で島民 200 人余りが八丈島に逃れ、100 人以上が犠牲となり以降無人島となった。佐々木次郎太夫が先頭に立ち、故郷に還住を果たしたのはそれから半世紀後の 1835 年(天保 6年)だった。  当時の記録は、幸い八丈島の博学流人近藤富蔵による『八丈実記』をはじめ詳細に残されており、日本を代表する民族学者柳田國男もそれらを検討し整理している。彼の全集に『青ヶ島還住記』という一章が収載されており、本稿はそれを中心に概説する。
  • 中島 康
    2012 年 4 巻 1 号 p. 36
    発行日: 2012年
    公開日: 2021/07/25
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