舞踊や寸劇などを伴いながら木琴ティンビラの大合奏を行うショピ民族の芸能ンゴドは、植民地時代より入植者から賞賛され、民族音楽学や人類学の分野などでも着目されてきた。一方、木琴一〜二台と三種の太鼓の演奏で踊られる芸能ンガランガの方は、ショピのコミュニティ内で盛んに踊られ、独立後のティンビラの演奏形態の多様化に直接影響しているにも関わらず、これまで研究対象とされてこなかった。
本稿では、マプト市のショピ・コミュニティにおけるンガランガに焦点を当てその変容を追うことで、現代的なティンビラ演奏の展開について明らかにした。また、社会主義時代の文化政策やワールド・ミュージックの流行などの社会的な動向がショピのティンビラ音楽に与えた影響については、国立歌舞団の音楽監督を務めながら、ティンビラの演奏活動や創作活動で幅広く活躍したエドワルド・デュラオのライフヒストリーから考察していった。本稿からは以下のことが明らかになった。
植民地時代に形成されたマプト市のショピ・コミュニティでは、ンゴドの楽団は一つしか結成されなかったのに対し、ンガランガ団は多数結成された。また、独立後の文化政策の影響で、舞台芸能としてのンガランガが楽器ティンビラとともに全国の舞踊劇団に普及していった。
一九八〇年代後半ごろから、エドワルド・デュラオは、ンガランガの演奏を主体に海外のジャズミュージシャンとセッションを行うなどして、新たなティンビラの演奏形態を生み出していった。その試みはショピの若者の心をとらえ、新しい世代に引き継がれた。本来は複数形の木琴に対してのみ使われていた「ティンビラ」という語は、その演奏形態の多様化と普及によって、一台の木琴を指す際にも使われるようになった。ショピの奏者らの多くはティンビラが指すものが曖昧であることを利用して、ジャンルにとらわれない自由な表現を模索している。
抄録全体を表示