謡のヨワ吟・ツヨ吟における基本音階上の最高音域に甲グリという音がある。主に宝生流のヨワ吟および観世流のツヨ吟の演目で用いられ、その音高を伴うフシ扱いは高難度の技巧とされる。
現行する観世流の謡本は、観世流大成版謡本、観世流参考謡本、梅若謡本があり、甲グリの箇所にはその補助記号が付加される。とりわけ梅若謡本において、甲グリを真ノ甲グリと草ノ甲グリに区別する特徴がある。この表記は、一九二一年から三三年間、観世流から独立し梅若流として活動した梅若六郎家独自の表記法である。
本稿では、観世流の現行謡本の表記を比較したうえで、梅若家の真ノ甲グリと草ノ甲グリの謡い方を実例と併せて検討し、さらに〈鸚鵡小町〉の甲グリの扱いについても考察した。
真ノ甲グリは、甲グリ音から短三度下げ、その音をスリ浮かせてから上音へ下げて謡われる。この段階的に下げる謡い方は、梅若家以外で謡われる甲グリの扱いと同等である。
草ノ甲グリは、甲グリ音から直接、上音まで下げる謡い方であることが明らかになった。この下げ方は、近代から続く梅若家に残る独自の技巧といえる。
また観世流のヨワ吟において唯一、〈鸚鵡小町〉で甲グリを用いるが、梅若謡本にはクリと表記される。現在の梅若家では、素謡で謡う場合のみクリ音で扱い、謡本の伝承が守られていた。その一方、能で謡われる際に流儀内で統一された甲グリ音よりさらに高く響かせて扱われる。これは流儀の謡い方に従いつつ独自の技巧が加えられたものである。
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