Tropics
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1 巻, 2+3 号
選択された号の論文の14件中1~14を表示しています
  • Richard B. PRIMACK, Pamela HALL
    1991 年 1 巻 2+3 号 p. 91-111
    発行日: 1991/12/30
    公開日: 2009/09/16
    ジャーナル フリー
    熱帯多雨林を構成する樹種の大部分は,地域的にみるとそれほど個体数が多くはない。生態学的に問題になる点は,これら低い密度でしかない種がいかにして生存し続けてきているかを知ることである。一方,温帯の森林では優占種が存在するが,熱帯林では普通にみられる種が優占種にはなり得ない。この原因には,デモグラフィックな問題点が含まれている。これらの問題を解決するために,サラワクにおいて三つの対照的な混生フタバガキ林を選び, 1965 年から現在まで5年の間隔をおいて,樹木の生長,加入,生残について調査した。
     筆者らが選んだ方法論は,生物の多様性研究に際して最良の方法を強調するために,なんらかの計画的実験を選択するという類のものではない。筆者らは種とその出現度数を組み合わせることによって個体数が稀な種,少ない種,多い種に分け,それらのデモグラフィックなパターンを比較した。また,地域的に多い種について, 5 年間隔をおいた4 回にわたる連続した調査を行ない,そのデータを基にして個体群のサイズの変化を回帰法によって分析し,個体群の安定性を評価することができた。この方法を用いた長期にわたるデモグラフィックな研究によって,熱帯多雨林群落の短期的な安定性の程度を明らかにし,自然保護地の樹種の保護について実用的な提言をすることが可能になった。これらの研究は,択伐林との比較のための基本的なデータをも提供し,有効な森林管理計画を立てる一助にもなる。伐木と農耕活動がサラワクの森林破壊の現時点での主なインパクトであるために,このような努力は極めて重要である。
  • II. タクアパ実験地における植物の成長に対する土壌温度,湿度,肥沃度の影響
    櫻井 克年, Buared PRACHAIYO, Tasnee ATTANANDANA, Virat TANPIBAL, 荒木 茂, 長縄 ...
    1991 年 1 巻 2+3 号 p. 113-129
    発行日: 1991/12/30
    公開日: 2009/09/16
    ジャーナル フリー
    タイの半島部,特にパンガ県(Phang-nga Province) にはスズ鉱山が多い。スズ鉱石を水で選別した跡地には,粒径によって選別された粘土,砂,喋の放棄地が残る。放棄地での天然更新は大変困難であり,人為的な植生回復の試みがなされている。そこで本研究は「放棄地計画, Waste Land ProjectJ (WLP) の一環として,パンガ県のタクアパ(Takuapa) の砂と礫の放棄地においてEucalyptus camadulensis を劣化地の植生回復のために植樹し,可能な農業の方法を示すためにキャッサバとパイナップルを栽培した。
    土地の改良策として耕起・化学肥料施肥(1.67 ton/ha/yr) · City compost の施肥(1 2.5 ton/ha/yr) · およびチガヤImperata cylindrica のワラ(1 6.7 ton/ha/yr) によるマルチング(地表の被覆)を試みた。その中でマルチングが樹木にも作物にももっとも良い方法であった。その理由としては, i)最も暑い季節において土壌の最高温度を下げる,ii)一年中よい土壌水分条件を保つ,iii)マルチング材料そのものが植物に栄養源として利用され,また土壌微生物の生物的活動を活発化する, iv) さらに現場で雑草を集めることによって容易に実行できることが挙げられる。
    不毛地の回復に関する限りは,チガヤによるマルチングと組み合わせたEucalyptus camadulensis の植栽がもっとも見込みの高い方法である。一方,実際的な農業方法の確立,少なくとも持続的にキャッサバとパイナップルの収穫を得ることを,ここのようなごく貧弱な土壌で実現するためには,さらなる努力が不可欠である。
  • 鈴木 英治, 甲山 隆司
    1991 年 1 巻 2+3 号 p. 131-142
    発行日: 1991/12/30
    公開日: 2009/09/16
    ジャーナル フリー
    熱帯林で超出木となるSwintonia schwenkii は風散布果実をつくる。この種の地表に落ちた果実と実生を含むすべての個体の位置を調べ,その分布を比較検討した。調査は,インドネシアの西スマトラ州パダン市近郊の熱帯山麓林にある2つの調査区(合計1.86 ha) 内で, 1988 年8月から10月に行った。Swintonia の果実は,湿重が2gあり,花弁が変化した長さ約6 cm,幅1 cmの羽根を5 枚持っているので,林床に落下したものを容易に見つけ出すことができた。
    実生から最高樹高61.7 m の超出木までの個体数は572 本であったが,樹高20m から36m の間の個体は存在せず,高木から超出木の階層と, 20m 以下の低木層に分れていた。樹高32m 以上の個体は8 本であったが,そのうち7 本が開花した。20m 以下の個体は開花しなかった。巌のωの指数によって樹高32m 以上の個体と,20m 以下の個体の空間分布を調べると,両者は排他的に分布していた。有為な差はないが, Swintonia 超出木の樹冠の下にはSwintonia の実生と低木が少ない傾向があった。
    果実は,未熟果が6175 個,成熟果が2240 個あった。Swintonia の実生や低木の分布とは異なり,果実は親木の近くほど多く,遠ざかるにつれて指数関数的に減少した。親木の根元から50m以上遠くまで到達した果実は稀であった。
    調査区の29 %が林冠のギャップで,残りは閉鎖林分にであった。Swintonia の果実は,風散布であっても遠くまでは飛ばないので,ギャップまで到達した果実は少なかった。実生の個体数は閉鎖林分よりギャップに1.1 4 倍多いだけであり, Swintonia 実生の発生と生残にとって,ギャップの存在が必須のものではないようだ。したがって,ギャップまで果実が到達する必要性も少ない。だが閉鎖林分であっても,同種の樹冠下よりも別種の樹冠下のほうが,実生の生存には好適のようだから,羽根によって重力散布の場合よりも親木の直下に落ちる可能性を減少させることは,実生の生残にとって意義があると考えられる。ほかにマレーシア熱帯ではウルシ科のMelanorrhoea とフタバガキ科が,ガクから変化したものであるがSwintonia とよく似た形態と機能を持つ羽根付きの果実をつくる。いずれも高木から超出木になる種群であり,同じような意義があると類推される。
  • 井上 真, LUGAN, Bilung IGIN
    1991 年 1 巻 2+3 号 p. 143-153
    発行日: 1991/12/30
    公開日: 2009/09/16
    ジャーナル フリー
    プナンの人々は狩猟採集によって生計を維持してきたボルネオ島の先住民である。彼らはさまざまな森林産物の交易を通して,焼畑民族であるダヤクの人々と直接的な共生関係を結ぶと同時に,華僑が支配するアジアの交易網に組み込まれていた。しかし,近年インドネシア領に居住するプナンの人々の生活は,貨幣経済の浸透と焼畑耕作の導入にともなって急速に変化しつつある。
    その現状を明らかにするために東カリマンタン州ブロウ県クレイ郡にある2 つの集落(ナハス・セパヌンNahas Sebanung とロング・メライLong Melay) にて,クレイ・プナンKelay Punan の人々の経済生活に関する調査を実施した。
    クレイ川最上流に位置するナハス・セパヌン集落の人々は森林内で狩猟採集を営み,年に4 回だけ集落に出てきてアラブ系商人に森林産物を販売している。従って,集落は1 年のうちほとんどが無人となる。そもそも,この集落には商人が森林産物の集荷の便を考えて新しく建てた数戸の仮設住宅しかない。これに対してプナンの集落としてはクレイ川の再下流に位置するロング・メライ集落の人々は1973 年に焼畑耕作を導入して以来,焼畑作業のある時期は集落に戻り,作業を終了すると森林へ入るという生活パターンをとっている。
    ロング・メライ集落の人々は,これまで毎年原生林を利用して焼畑耕作を行なっていたが,1989 年に初めて焼畑跡地の二次林を利用した。しかしその休閑期間はわずか3 年であり,休閑期間における植生の回復度合いは,クニャー・ダヤク(ケニャKenyah) の人々による焼畑の場合と比較してはるかに劣っている。これは伝統的焼畑民族ではないクレイ・プナンの人々が森林保全と調和した焼畑用地の循環システムを持たないのが原因と考えられる。
    ロング・メライ集落での焼き畑作業においては,伝統的焼き畑民であるクニャー・ダヤクの集落のような労働組織の分化は見られない。しかし,自家労働で行なわれているのは火入れ作業のみであり,伐採・播種・収穫の各作業は主に“Peldau”と呼ばれている労働組織により実施されている。これは数世帯間での等価労働交換と違い,集落全員による共同労働のことである。
    ナハス・セパヌン集落の人々の現金所得源は75% が籐(ラタン), 23% が沈香, 2% が砂金の販売である。支出内訳は43% がロングボートのモーター用燃料の購入, 28% が米の購入となっている。さらにアラブ系商人からモーターを購入したのが大きく響いて,恒常的な債務奴隷となり,森林産物の採集を余儀なくされている。
    ロング・メライ集落では現金所得のうち31% が沈香, 26% が籐の販売収入である。支出の42% が米を除く食費, 31 %がロングボートのモーター用燃料費にあてられている。住民達は商人に対しである程度の負債を負っているが,調査不可能であったナハス・セパヌン集落での負債額よりずっと少額であることは確かである。
    アラブ系商人はナハス・セパヌンでの森林産物の交易を独占しており,それより下流域の集落においてはプロウ人の商人と競合している。彼ら商人は何人もの仲買人を支配下において,ブロウ県全域から籐,燕の巣,沈香を集荷している。これらの森林産物はスラバヤやジャカルタ経由で輸出される。
    以上,急速に市場経済の末端に組み込まれて,負債を抱えながら森林産物の採集を続け,一方で焼き畑耕作の導入によって定住性を高めつつも,自らの居住環境(森林)を劣化させる可能性の高いクレイ・プナンの人々の実態を鑑みるに,彼らの生活の安定化と森林の保全とを両立させるための対策が必要と考える。
  • 山根 正気, 松浦 秀明
    1991 年 1 巻 2+3 号 p. 155-162
    発行日: 1991/12/30
    公開日: 2009/09/16
    ジャーナル フリー
    1990 年の夏に小笠原諸島父島列島の父島で,日本未記録の大型のドロパチが発見された。形態的特徴から,このハチはBdquaert がEumenes pyriformis (Fabricius) (現在はDelta 属に移されて いる)とした種に該当すると思われる。ただし,このtaxon はじっさいには複数の種をふくむ可能性があるので,こんど十分な検討が必要である。体の斑紋からみると,小笠原の個体群はこれまで知られているいかなる亜種にも該当しない。とくに,小笠原諸島に近いフィリピンや台湾の亜種とは著しく異なる。また,すくなくとも丈献上は,本種のマリアナ諸島からの記録はない。したがって,小笠原諸島の近隣地域から最近侵入した可能性はひくい。本種が小笠原へ侵入した経緯については以下の2 つが考えられる。1) 侵入時期は相当に古く,隔離されたあと固有の亜種となったが,生息密度がごく低かったため最近まで発見されなかった。しかし,なんらかの理由により, 1990年以降大量に発生するようになった。2) ごく最近,東南アジアのどこかから,私たちにとって未知の亜種がおそらく人為的に導入された。
    小笠原にはこれまでにハチの専門家をふくむ相当数の昆虫学者が調査で訪れており,それらの報告書には本種に該当するハチはまったく登場しないので, 1) の可能性はまずない。20 年以上まえにセグロアシナガバチが記録されたことがあるが,飛翔時に本種と類似する可能性はあるものの,標本にした場合見誤ることはありえない。現在のところ, 2) の可能性が高い。すでに,父島では定着したと考えられ, 1991 年には兄島でも発見されたが,それ以外の島ではまだみつかっていない。これまで小笠原には,大型のカリバチは存在しなかったので,本種の定着は父島や兄島の生態系に少なからぬ影響をおよぼすものと思われる。
    松浦による父島での観察によれば,本種は主として日当たりのよい建物の壁面,石の窪み,樹皮などに営巣する。巣は,水平面・垂直面のいずれにも造られ, 1 ないし20 程度の泥でできた育室(ポット)からなる。幼虫のための餌としては,シャクガ科とヤガ科(計6 種)の幼虫を狩り,育室あたり4 ないし十数匹を蓄える。1990 年の11 月と12 月には,巣にもちかえられた餌はほとんどがギンネムエダシャクであった。各育室には原則として1 個体の幼生(卵,幼虫,蛹)がみられたが, 2 個体以上の幼生をふくむ育室が数例ながら見いだされた。これらが同じ親に由来するのかどうかは不明である。この点を確認するため営巣途上の巣を観察していたところ,よそ者のメスが訪れたのが2 度確認された。これまで, トツクリバチ属やネッタイスズバチ属では,営巣をめぐってのメス間の干渉や寄生行動は知られていないので,今回の観察はきわめて興味深い。
  • いま熱帯研究はなにをめざすか
    1991 年 1 巻 2+3 号 p. 163-164
    発行日: 1991/12/30
    公開日: 2009/09/16
    ジャーナル フリー
  • 吉良 竜夫
    1991 年 1 巻 2+3 号 p. 165-166
    発行日: 1991/12/30
    公開日: 2009/09/16
    ジャーナル フリー
  • 矢野 暢
    1991 年 1 巻 2+3 号 p. 167-177
    発行日: 1991/12/30
    公開日: 2009/09/16
    ジャーナル フリー
  • 岩槻 邦男
    1991 年 1 巻 2+3 号 p. 179-184
    発行日: 1991/12/30
    公開日: 2009/09/16
    ジャーナル フリー
  • 安野 正之
    1991 年 1 巻 2+3 号 p. 185-189
    発行日: 1991/12/30
    公開日: 2009/09/16
    ジャーナル フリー
  • 田中 二郎
    1991 年 1 巻 2+3 号 p. 191-200
    発行日: 1991/12/30
    公開日: 2009/09/16
    ジャーナル フリー
  • 依田 恭二
    1991 年 1 巻 2+3 号 p. 201-212
    発行日: 1991/12/30
    公開日: 2009/09/16
    ジャーナル フリー
  • 浅川 澄彦
    1991 年 1 巻 2+3 号 p. 213-218
    発行日: 1991/12/30
    公開日: 2009/09/16
    ジャーナル フリー
  • 1991 年 1 巻 2+3 号 p. 219-232
    発行日: 1991/12/30
    公開日: 2009/09/16
    ジャーナル フリー
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