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  • ニューギニア高地エンガ州サカ谷の事例から
    深川 宏樹
    文化人類学
    2018年 82 巻 4 号 526-546
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/10/18
    ジャーナル フリー

    本論ではいわゆる「上からの平和」と「下からの平和」のいずれにも還元不可能な、両者の接触 面における紛争処理ならびに平和維持方法の創発という視点から、ニューギニア高地エンガ州サカ 谷の村落の事例を記述・分析する。このような主題を前にしたとき、人類学はただちに「平和とは 何か」という問いに直面せざるを得ないが、本論ではこの問いを一旦保留し、対象地域に植民地期 から独立にかけて外部から導入された裁判制度と、相対的に「慣習的な」紛争処理方法との相互構 成的な関係を考察することを目指す。

    先行研究では、ニューギニア高地の紛争処理において、親族間の感情が自他の身体に暴力や物を 介することなく無媒介的な影響力をもつ、という独自の身体観が考慮される点が指摘されてきた。 この身体観のもと、紛争処理における人々の関心は、紛争の「解決」や規範の意味内容の明示/構 成よりも、当事者の感情を否定的な状態から肯定的な状態へと変容させることにむけられる。そこ で行われているのは、紛争それ自体の仲裁というよりも、「感情の仲裁」である。

    本論では、「感情の仲裁」という人々の関心事に即した理解の枠組みに沿って、親族間の紛争を 処理する仲裁と村落裁判を比較し、そこでの個人の怒りの制御や抑圧、ならびに紛争に起因する怨 恨の解消過程を記述・分析する。感情の扱い方が異なる2つの制度の比較を通じて、本来、主観的 で捉えがたい感情を、観察可能な次元で対象化し、その現れ方や変容過程を浮き彫りにすると同時 に、そこに垣間見える、紛争処理の創発をめぐる人々の創造性の論理を析出することが、本論の目 的である。

  • 三浦 敦
    民族學研究
    1998年 62 巻 4 号 441-469
    発行日: 1998年
    公開日: 2018/03/27
    ジャーナル フリー
    本論は, フランス東部ジュラ地方の農村で行われた葬送のミサを資料とし, そこでなされた発語の語用論的分析によって, 儀礼に現われた社会的行為主体としての人格概念を明らかにすることを試みるものである。人格指示詞による発語行為の場の枠づけ, さまざまなタイプの発語の分化や複数の主体性の提示とそれらの主体性同士の相互作用による発語の形成, そしてそれらを通した諸価値の相互作用とそのイデオロギー効果などの検討を通して, ミサにおいて表明される「人格」概念が, 宗教的価値とともに日常的相互行為の価値によっても規定されていることが示される。この様な人格概念の検討は, 農村社会の動態を把握する上で不可欠であるばかりでなく, 「西洋的個人」というステレオタイプを再考することを可能にするものである。
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