福祉と農業が語られる時,そこで期待されるのはたとえば障害者や高齢者本人にとってリハビリテーションになること,あるいは稼ぎの仕事となることの
いずれかであることが多い.重要なのは,新しい事業を如何に〈生産〉するかであり,障害者や高齢者はその事業を〈消費〉する存在として位置づけられる.
この眼差し自体は,決して新しいものではない.裏側には,賃労働に適した存在を丁寧に取り込みながら,そこに適さない存在を同じように丁寧にケアの対
象に振り分ける流れがある.
それに対して,筆者自身の活動のフィールドである,見沼田んぼ福祉農園は,埼玉県の総合政策部土地政策課(現土地水政策課)が,見沼田んぼの治水機能
の担保と荒地化対策の文脈で企画・立案した「見沼田圃公有地化推進事業」をうけて始まっている.福祉政策としても,農業政策としても,明確に位置づけ
られていない.
本稿は,見沼田んぼとその周辺の地域史と見沼田んぼ福祉農園に関わる人びとの個人史に留意しながら,高度経済成長期に周縁化された農業と周縁化され
た障害者の二つの問題系が交差する中で「見沼田んぼ福祉農園」が如何に生まれ,活動を変化させながらも持続していく,その〈分解〉の過程を描く.
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