新潟の町は、信濃川の河口に出来た砂の島の上に誕生した。その誕生の時期は決して古いものではない。恐らく、1500年代初期の頃であったろう。
1616年 (元和2年) 堀直寄が長岡の城主に着任すると、ここに大港湾都市を夢見て、都市計画を実施したのである。これが今日の新潟市の発端である。
以来、今日に至るまで、阿賀野川の合流、或は分流という大自然の恩恵や試練をくぐり抜け、堀直寄・牧野忠成の如き名城主に出会い、或いはまた、1843年 (天保14年) 幕府に上知されるや川村奉行の如き名奉行を迎える等。この一連の流れが、1858年 (安政5年) 日本の開港五港の一として選定され、1868年 (明治元年) 正式に開港されることになったのである。
このような歴史の流れの中で、新潟誕生がどんなものであったか、全たく不明なのである。
例えば、何時頃人が住みついたか。
何処から移住してきたのか。
どのような商売の人であったか。
等。
又、新潟には縦横に堀割りが掘られ、街区も整然と区画されている。これが堀直寄の町づくりの残された姿である。そう言われているけれども、直寄の考え方や道路、堀割りのつくられた意味については、これを知る人が非常に少くない。
新潟誕生の模様に、直寄の都市計画の様子を加味しつつ、古い新潟の姿を探究してみたものである。
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