古代インド医学の解明において,
アーユルヴェーダ
と総称される体系が確立される以前の姿を伝えるものとして,仏教典籍における医療の描写が重要であることは,夙に指摘されてきたところである.本研究では,仏教思想史上に中期大乗経典と位置づけられる『金光明経』「除病品」に見られる医学的記述を取り上げ,
アーユルヴェーダ
文献との比較を試みる.『金光明経』における医学的記述は,季節(rtu)の定義,季節毎の病素(dosa)の異常,それに対するラサ(rasa)や療法を説いており,『チャラカ本集』『スシュルタ本集』などをはじめとする
アーユルヴェーダ
文献に共有された季節養生法の一節と対応している.しかし委細に比較すると,季節,病素,ラサの観念は
アーユルヴェーダ
のそれと合致せず,むしろ仏教固有の季節観,身体観を反映したものであることが判明する.本研究は上の検討を通して,『金光明経』の医学的記述が,正統派
アーユルヴェーダ
文献とは別系統の医学伝承に属するものか,あるいはその季節養生法の形式のみを模倣しつつ仏教教義をベースに編纂されたものである可能性を指摘する.
抄録全体を表示