本研究は、大村西崖(1868~1927)によって著された『密教発達志』を書き下して、現代の研究成果を参考にしながら、詳細な注記を加えることを目的としている。本論文は、昨年までに発表したものの(1)続編で、第一章の「教の興りより隋に至るまで」の第35節「仏陀跋陀羅の訳経」の第10項「兜率天」(底本の73頁)より、第38節「東晋の失訳経」の第九項「即事而真」(底本の90頁)までである。
大村は、この中で、さまざまなインドの神々の論究を通して、
インドの宗教
文化と仏教とが、相互に影響を及ぼし合っていた様子を、漢訳文献にとどまらず、おそらくは『マハーバーラタ』やプラーナ文献などのインド文献の情報をもとに描き出している。このことは、河口の、大村の研究が漢訳文献のみに基づいているという批判(2)は当たらないように思われる。しかし、大村が実際にサンスクリットの文献を利用していたとは考えにくいことから、こうした言及は、おそらくは西洋での研究成果を参考にした分析であったであろう。こうして
インドの宗教
文化が仏教の中に取り入れられていった姿を明らかにした上で、大村は、密教の発生が世俗を仏教に引き入れるための「古徳済世の大慈悲」であるという。この見解は、栂尾(3)や松長(4)なども同調しており、権田も「此の段、稍々密教の意を得ると雖も、若し密教を以て古徳大慈作成と為さば、即事而真、当相即道の義に契わざるにあらざるなき歟(5)」と、疑問を呈しながら、ほぼ同意している。
以下に、訳注に当たっての凡例を記す。
凡例
1、大村西崖著『密教発達志』(国書刊行会、1972覆刻)を底本とした。
2、旧漢字は、当用漢字に改めた。
3、書き下すに当たって、可能な限り、大村の返り点にしたがい、適宜、段落分けをした。
4、大村による割り注は( )で示した。
5、経典名や著作名には『 』を、引用文には「 」を附した。
6、人名には、可能な限り{ }によって生没年、国王の場合は在位を補い、インド名が附されていない場合には、そのインド名を補った。
7、地名に関しても、可能な限り{ }によってインド名、及び現在の地名を補った。
8、年号に関しても、{ }によって西暦年を補った。
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