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クエリ検索: "ウンドゥルハーン"
4件中 1-4の結果を表示しています
  • モンゴル国現代牧畜社会における居住単位のサイズと構成の変遷
    辛嶋 博善
    文化人類学
    2016年 81 巻 1 号 044-061
    発行日: 2016年
    公開日: 2017/10/16
    ジャーナル フリー

     柔軟性という概念はしばしば牧畜民の行動や組織に関する説明原理として用いられてきた。居住地 を変えうる移動性や土地と比して分割しやすい家畜群という財が、様々な条件に対応しうる選択の幅 を広げることから、柔軟性という概念は牧畜の理解の足掛かりとなってきた。しかし柔軟性にも限界 はある。少なくとも成員の生命の維持と再生産、放牧や生殖に関わる家畜の管理を全うする場である 居住単位について言えば、ある程度の規模が維持されなければならなかったはずである。本論文では モンゴル牧畜民の居住単位の約11年間の変化を提示し、その特徴を柔軟性の観点から考察する。

     本論文で対象とする1つの居住単位は、最終的に3つに分裂する。こうした居住単位の変化の要 因として、個人のライフサイクル、家畜管理上の要請、定住地への移住による人口減少を挙げるこ とができる。

     移住による人口減少が原因で、居住単位はこれまでの家族を前提とした世帯ではなく、定住地に 妻子を置いて単身で留まった男性の牧民か、家畜を託された男性の牧夫による小規模な世帯を中心 に構成されるようになる。その後、牧夫らが結婚して新たに世帯を築くものの、1世帯による小規 模な居住単位が継続されることになる。

     こうした居住単位では、その内部で従来通りの協業をすることが不可能となるが、牧民たちがト ラック、携帯電話、カセットコンロや市販の加工食品、屠畜場などを利用しつつ、定住地との、あ るいは居住単位間の広域的な協業によって家畜管理を行っている。

    こうした小規模な居住単位による宿営が可能となったこと、そして世帯が散住したにもかかわら ず協業が可能となったことは、柔軟性の拡張と呼べるものである。

  • モンゴル国ヘンティー県ムルン郡の事例
    辛嶋 博善
    日本文化人類学会研究大会発表要旨集
    2011年 2011 巻 L13
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/20
    会議録・要旨集 フリー
    本発表はポスト社会主義下のモンゴル国の牧畜社会における家畜生産物の市場への流通に関する事例を提示するものである。社会主義体制の崩壊による協同組合の解体によって、牧畜民は自ら市場での取引に関わらなくてはならなくなったが、彼らの行う市場での取引は、価格のみならず取引の場所やそこへのアクセスの仕方、取引相手の点で固定化を拒むものであり、それに対する新たな方策を彼らは模索し続けている。
  • 湊 邦生
    アジア動向年報
    2015年 2015 巻 123-148
    発行日: 2015年
    公開日: 2023/02/10
    解説誌・一般情報誌 フリー HTML
  • モンゴル牧畜社会における牧夫の自立
    辛嶋 博善
    文化人類学
    2017年 82 巻 1 号 035-049
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/03/15
    ジャーナル フリー

    本論文ではモンゴル国の牧畜社会における牧夫が、新たに家族かつ牧畜の経営体をなした事例を提示し、企業家論と対比しながらその出現の特質の一端を明らかにしようとするものである。モンゴルの牧畜民社会は多くの場合家族を基礎として形成され、結婚に際して、あるいはそれを前提として実子や養子に家畜を分与することによって、次世代の再生産を行ってきた。この点でモンゴルの牧畜社会は家業と見なしうるが、牧畜社会における世帯の長、あるいは家長をアントレプレナーと見なす見解もある。またアントレプレナーを必ずしも会社を経営する者に限定する必要もない。本論文では新たに経営体を組織しようとする人と捉え、一見家業に見える牧畜の経営体が起業されるプロセスを分析する。

    モンゴルの牧畜民の社会においては、住み込みで牧畜民の世帯に暮らす牧夫がいる。多くの場合彼らは、親からの分与をほとんど期待することができない。そうした牧夫たちの中には、養子に準ずる形で家畜の分与を受けたり、対価として家畜を受け取ったり、また部分的にではあれ自ら家畜を手に入れることによって生活基盤を整え、結婚して牧畜の経営体を成し遂げるものも出現した。

    こうした過程において家畜の獲得の仕方には、実子などに対する分与に類する場合や労働の対価としての報酬に類する場合があるが、それらはモンゴルの牧畜社会において歴史的に行われてきたやり方を踏襲している部分がある。そのことは必ずしも牧夫たちのアントレプレナーシップを否定するものでない。実際、牧夫を経験した者すべてが牧畜の経営体を立ち上げることができたわけではない。アントレプレナーとしての牧夫は、脱生業的な状況を利用しながら自立に成功した。これは牧夫たちが選択した戦略の結果であり、ある種の起業と見なしうるべきものであり、脱生業化がもたらした結末のひとつのバリエーションである。

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