柔軟性という概念はしばしば牧畜民の行動や組織に関する説明原理として用いられてきた。居住地 を変えうる移動性や土地と比して分割しやすい家畜群という財が、様々な条件に対応しうる選択の幅 を広げることから、柔軟性という概念は牧畜の理解の足掛かりとなってきた。しかし柔軟性にも限界 はある。少なくとも成員の生命の維持と再生産、放牧や生殖に関わる家畜の管理を全うする場である 居住単位について言えば、ある程度の規模が維持されなければならなかったはずである。本論文では モンゴル牧畜民の居住単位の約11年間の変化を提示し、その特徴を柔軟性の観点から考察する。
本論文で対象とする1つの居住単位は、最終的に3つに分裂する。こうした居住単位の変化の要 因として、個人のライフサイクル、家畜管理上の要請、定住地への移住による人口減少を挙げるこ とができる。
移住による人口減少が原因で、居住単位はこれまでの家族を前提とした世帯ではなく、定住地に 妻子を置いて単身で留まった男性の牧民か、家畜を託された男性の牧夫による小規模な世帯を中心 に構成されるようになる。その後、牧夫らが結婚して新たに世帯を築くものの、1世帯による小規 模な居住単位が継続されることになる。
こうした居住単位では、その内部で従来通りの協業をすることが不可能となるが、牧民たちがト ラック、携帯電話、カセットコンロや市販の加工食品、屠畜場などを利用しつつ、定住地との、あ るいは居住単位間の広域的な協業によって家畜管理を行っている。
こうした小規模な居住単位による宿営が可能となったこと、そして世帯が散住したにもかかわら ず協業が可能となったことは、柔軟性の拡張と呼べるものである。
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