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クエリ検索: "エリンナ"
1件中 1-1の結果を表示しています
  • 宮下 健三
    ドイツ文學
    1961年 26 巻 52-73
    発行日: 1961年
    公開日: 2008/03/28
    ジャーナル フリー
    メーリケ文学の内的運命の問題を取上げている。「画家ノルテン」に於ける詩人の運命観は, 摂理を否認した悲劇的なものである。此の小説は畢竟彼のペレグリーナ体験の総決算だったが, 運命の魔神デモーニツシユ的なものを中心とするこの作品の圧倒的感銘は, 若きメーリケの悲劇性の深さと同体験の彼の生涯に対する本質的意義を証している。この悲劇的運命との対決と超克が彼を詩人にし其文学の方向を決定した。
    愛は彼の生活と芸術の核心だった。彼の愛には宗教的宇宙的な帰依の感情が顕われている。完全不変の愛の充足を求める彼の愛の絶対主義と現実の愛の間には断絶が生じ, 茲に愛のフモールが生れる。最後に彼の愛は神に於いて全き不変の充足を見出す。
    クレーフェルズルツバッハ時代に彼独自の世界の酵母を成したのはフモールだった。其は地上的なものを愛に包摂する精神であり, 存在の不完全さ寄方なさを愛すべきものに変える心情の自由である。メーリケのフモールは, その純粋性が豊かな人間性を獲得する不可避にして必然的な道程だった。「モーツァルト」には悲劇の深みに根ざした明るさが横溢している。彼は悲劇的な美が人間的深淵の上に奇蹟のように揺らめく芸術家性の悲劇を創造した。晩年の生の内に常住する死にも拘らず大胆な生の肯定に於いて, 詩人は創造の否定面をも包摂した全体的生の高らかな讃歌たるモーツァルトと同じ境地に達した。熾烈な真理愛と竪琴の感受性のこの詩人は,ノルテンからモーツァルトへの果しなき苦難の道を唯愛により生を確かめフモールにより愛を豊かにしつつ歩むことが許されていた。後者や
    エリンナ
    のような作品が生れるには絶えざる遥かな生長が必要だった。此の内生の歴史, 文学の発展には, 唯そのようにのみ変転せざるを得ない内的必然性が認められる。ヘッセの言う「最も高価にして最も高貴な」彼の文学の運命は, その文学の内的運命の厳しさと深さに由来しており, 彼の文学の独自な慰めと喜びは又此処から立昇る光なのである。
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