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11件中 1-11の結果を表示しています
  • 伴地 芳啓, 植村 大志, 竹永 羽, 平尾 悠太朗, 河合 隆史
    日本バーチャルリアリティ学会論文誌
    2021年 26 巻 3 号 177-186
    発行日: 2021/09/30
    公開日: 2021/09/30
    ジャーナル フリー

    This paper describes the evaluation of a VR content that presents the biometrics data of a fencing athlete during a match as audio-visual stimuli. We conducted two experiments: 1) the effect of marking the gaze point, 2) the effect of combining the forearm movements of the athlete and participant. The results of the first experiment showed that this approach significantly led the participants’ eyes to athlete’s gaze point. The results of second experiment showed this approach did not affect participants’ ownership and agency. However, some people were induced their forearm movement to athletes’ movement.

  • 北川 真紀
    文化人類学
    2017年 82 巻 1 号 093-095
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/03/15
    ジャーナル フリー
  • 『プロジェクトA』と『ポリス・ストーリー/香港国際警察』における肉体性と形象性
    雑賀 広海
    映像学
    2019年 101 巻 49-68
    発行日: 2019/01/25
    公開日: 2019/06/25
    ジャーナル フリー
    【要旨】
     本論文は、ジャッキー・チェンの落下に注目する。先行研究では、危険なスタントを自ら実演することによって、身体の肉体的真正性が強調されるという側面が論じられてきた。しかし、『プロジェクトA』(1983)や『ポリス・ストーリー/香港国際警察』(1985)における落下スタントの反復は、むしろ真正な身体を記号的な身体に変換しようとしている。なぜなら、反復は身体が受ける苦痛を帳消しにする効果があるからだ。加えて、反復は物語の展開にとっては障害でしかない。こうしたことから、ジャッキー作品の反復は、スラップスティック・コメディのギャグと同様の機能を持ち、スタントをおこなう彼の身体は初期アニメーションの形象的演技へと接近していく。本論文は、ジャッキーと比較するために、ハロルド・ロイドやバスター・キートン、ディズニーの1920年代末から1940年代までの作品までを扱う。そして、アニメーションの身体性と空間についての議論や、スラップスティック・コメディにおけるギャグ論などを参照し、映像理論的に落下の表象を論じる。こうした作品分析をおこなうことで、ジャッキー・チェンの身体を肉体性から引きはがす。さらに、彼の映画では、身体だけではなく、まわりの空間までも非肉体的な形象に置き換えられていることを明らかにする。結論では、肉体性と形象性の境界を反復運動することが彼のスターイメージの特色であることを主張する。
  • 神田 秀幸, 岡村 智教, 門脇 崇, 早川 岳人, 喜多 義邦, 上島 弘嗣
    日本公衆衛生雑誌
    2003年 50 巻 1 号 62-70
    発行日: 2003年
    公開日: 2014/12/10
    ジャーナル フリー
    目的 映画やテレビドラマにおける喫煙シーンは未成年者の喫煙開始行動に影響を与えると言われている。そこで,わが国のテレビドラマの喫煙描写の放映回数,配役の設定,喫煙時の状況などの喫煙場面の実態を明らかにし,未成年者の喫煙行動に影響を与える一環境要因の資料とすることを目的とした。
    方法 2001年 7~9 月期に放映された在京民間テレビ放送主要 5 局が地上波で放映する連続テレビドラマ 7 番組とした。対象とした番組の平均視聴率は10.1~20.3%であった。各放送を 3 分間 1 ユニットに区分し,放送時間内に登場する喫煙場面(喫煙行為そのもの)と喫煙関連場面(灰皿などの描写)のユニット数を計測した。喫煙場面では,喫煙者の配役,喫煙環境,喫煙に伴う行為の有無や喫煙場面の状況について放映ユニット数の計測を行った。
    結果 1. 収録した番組全1,264ユニットの内129ユニット(全放送場面の10.2%)に喫煙場面がみられ,喫煙関連場面は258ユニット(同20.4%)にみられた。
     2. 喫煙場面では,男優(126ユニット,喫煙場面の97.7%),設定年齢20~40代(118ユニット,同91.5%),主演(72ユニット,同55.8%),1 人での喫煙場面(80ユニット,同62.0%),住宅内での喫煙(56ユニット,同43.4%)が登場した。
     3. 喫煙以外の行為を伴う喫煙場面は70ユニット(喫煙場面の54.3%),喫煙以外の行為を伴わない喫煙場面59ユニット(同45.7%)であった。
     4. 喫煙以外の行為を伴う喫煙場面では,仕事の場面(28ユニット,喫煙場面の21.7%),食事の場面(17ユニット,同13.2%)の順であった。喫煙以外の行為を伴わない喫煙場面では,開始時表題場面または終了時配役紹介場面でみられる喫煙場面(32ユニット,同24.8%),喫煙行為のみの描写(27ユニット,同20.9%)の順でみられた。喫煙を否定する喫煙関連場面は 3 ユニット(同0.2%)であった。
    結論 わが国のテレビドラマでは 3 分間を 1 ユニットとして区分した場合,全ユニット中の約30%に喫煙場面または喫煙関連場面がみられた。喫煙場面は,分煙の配慮がなく,喫煙の必然性のない場面での喫煙が多く,喫煙を否定する描写が少ないことが示された。
  • 角山 照彦
    映画英語教育研究 : 紀要
    2015年 20 巻 3-
    発行日: 2015年
    公開日: 2020/03/25
    ジャーナル オープンアクセス
    This study reports on the use and effects of a medical-themed film in English classes for pharmaceutical science and nursing majors. The selection of a film is a critical issue in film-based language classes, and the use of a film closely related to learners’ major has the potential to motivate them further in their study of both language and their chosen field. Thus, in order to explore such a possibility, a variety of medical-themed films were examined and course materials were developed based upon one such film, “Awakenings,” in which a doctor uses a then-experimental drug to “awaken” patients who have been catatonic for decades as a result of an encephalitis epidemic. The film was deemed potentially useful for these classes, not only in that it portrays the excitement and the heartbreak of clinical research, but also in that nurses and pharmacists play important roles in the film. An experiment was conducted utilizing an ESP (English for Specific Purposes) approach, to verify the effectiveness of the course material. The results revealed that the use of a medical-themed film was effective in helping improve the listening abilities of learners as well as motivate them. The implications of the findings are also discussed.
  • ──建築デザインにおける可能性
    朽木 順綱
    デザイン学研究特集号
    2019年 26 巻 1 号 40-47
    発行日: 2019/03/31
    公開日: 2021/04/16
    研究報告書・技術報告書 フリー
  • 山田 仁一郎, 山下 勝
    組織科学
    2006年 39 巻 3 号 61-70
    発行日: 2006/03/20
    公開日: 2022/08/05
    ジャーナル フリー

     本稿は,企業家の意図と実際に起こった革新の間にあるギャップに着目し,コンテンツ開発の事例を用いて,企業家によるパートナーシップの形成が革新の創発の鍵となる過程を明らかにする.そこでは企業家の意図は革新へと直結しない.企業家は,まず関係構築意図によって革新遂行の中核となるパートナーシップを形成し,次にこのパートナーシップが創発的革新意図を誘発し,競争優位につながる革新を実現するのである.

  • 雑賀 広海
    映像学
    2024年 111 巻 177-197
    発行日: 2024/02/25
    公開日: 2024/03/25
    ジャーナル フリー

    『燃えよ!じじぃドラゴン 龍虎激闘』はカンフー映画史に言及する映画である。というのも、1970年代のカンフー映画に出演していた俳優たちが主要な役柄で出演しているからだ。さらに、オープニングクレジットは映像と音楽がともに『ドラゴン怒りの鉄拳』を想起させる。1970年代へのノスタルジーに満ちた本作だが、この映画以外にも同様のノスタルジー映画が同時期に香港で製作されている。本稿ではそうした文脈に目を配りつつ、カンフー映画によるカンフー映画史への言及という点に注目する。興味深いことに、同様の試みをおこなう映画が『じじぃドラゴン』公開からわずか4年後に製作されている。それがドニー・イェン主演の『カンフー・ジャングル』である。『カンフー・ジャングル』は『じじぃドラゴン』よりも広範囲な映画史を描きだす。それでは『カンフー・ジャングル』は『じじぃドラゴン』と同様の試みとしてその延長上に位置づけられるのだろうか。本論文は、カンフー映画史をめぐるこれまでの言説を整理したうえで、この2作品が異なるカンフー映画史の解釈を持つことを主張する。そして、それぞれの映画が描くカンフーマスターの身体に現れる政治性を明らかにする。カンフーに着目すると、『じじぃドラゴン』は悲観的な感傷を誘い、『カンフー・ジャングル』は能動的な読解を要求する映画であることがわかる。

  • 雑賀 広海
    映画研究
    2018年 13 巻 4-28
    発行日: 2018年
    公開日: 2019/03/15
    ジャーナル オープンアクセス
     本論文は、成龍が主演デビューしてから初監督作品『笑拳怪招』(1979) を手掛けるまでの1970年代香港映画に着目する。成龍に関する先行研究は、監督と主演を兼任する、いわゆる自作自演という点については十分に論じていない。本論文は、『笑拳怪招』を中心とする議論を通して、監督と俳優の関係、または作品内における父と子の関係がどのように描かれているか考察する。
     1980年代に黄金期を迎えるまでの香港映画産業では、監督と俳優の間には厳格な封建的関係が結ばれていた。しかし、1970年代の李小龍の登場から独立プロダクションのブームを経て、監督と俳優の父子関係は崩壊していく。それを象徴するのが羅維と成龍の関係性である。だが、『笑拳怪招』に見るのは父子関係の崩壊だけではなく、監督と俳優の間にある境界の曖昧化でもある。この曖昧化は黄金期を特徴づけるものであり、したがって、本作は1970年代末の転換を象徴する重要な作品であるという結論に至った。
  • 『ライジング・ドラゴン』におけるスター・イメージの再創造
    雑賀 広海
    映画研究
    2023年 18 巻 42-64
    発行日: 2023/12/09
    公開日: 2024/03/31
    ジャーナル オープンアクセス
    黄金期が過ぎた香港映画では、監督や俳優の高齢化が産業の衰退との関連で問題視されてきた。しかし、香港人アイデンティティが1970年代ごろから定着しはじめたものであれば、老いた香港人は2000年代以降に描かれはじめた新しいイメージである。とりわけ身体を酷使するカンフー映画のアクション俳優にとって、老いはスター・イメージの維持において否定的に作用しやすい。本論文は黄金期香港映画を代表するアクション・スターのジャッキー・チェンをとりあげる。1990年代までの彼は若く健康で強靭な身体を誇示していたが、2000年代以降は老いの演技を実践しながらCGIをとりいれるようになる。これはアクション俳優としての退化ではなく、彼の演技が新たなモードにはいったことを示している。それは、1990 年代までの虚構に打ち勝つ実体的な身体イメージからデジタル映像をとりこみ生成変化する身体イメージへの移行であり、老いた彼の身体は柔軟なマスキュリニティを手にいれる。
  • 人の「生きた証」をすくいとる
    水島 宏明
    放送研究と調査
    2019年 69 巻 9 号 36-59
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/10/20
    研究報告書・技術報告書 フリー
    山口放送のディレクター、佐々木聰(ささきあきら・48歳)には「泣きの佐々木」の異名がある。佐々木の番組では、子育てに奮闘するシングルマザーであれ、山奥に暮らす孤老であれ、極限状況におかれながらも登場人物はよく泣き、よく笑い、その心の「強さ」や生き様の「うつくしさ」が映し出されるからだ。この人間の真に迫る制作姿勢によって、佐々木は民放の制作者にとって最高の栄誉とされる日本放送文化大賞グランプリを3度受賞した。かつて同じ系列のキー局・日本テレビに在籍した筆者の水島宏明は、そこに山口放送の先輩ディレクター、磯野恭子(1934-2017)の影響を感じる。二度と撮れない、たった一回のインタビューに賭けて相手に迫り、真実を引き出す緊張感に富んだ取材姿勢。その一方で取材地に近いローカル局の強みを生かして時間をかけた取材をし、番組に「深み」をもたらす。若き日に受けた35歳も年上の先輩の薫陶が、じわったと生きた制作者としての半生だったのではないか、という。山口刑務所の所内ラジオの音楽番組に寄せられるリクエストカード、そこに綴られる受刑者たちの心模様を描いたデビュー作『塀の中のリクエストカード』(2001年)、山奥で自給自足で暮らす老夫婦を長期取材した映画『ふたりの桃源郷』(2016年)、そして「加害」と「被害」が入り乱れた戦争体験の記憶をえぐり出した近作『記憶の澱』(2017年)まで。磯野恭子の「最後の弟子」といわれる佐々木聰の制作の道のりを、水島がたどる。
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