欧米の地理学では,同性愛者にとっての都市空間は,当事者の生活やアイデンティティ構築において重要な意味を持つことが指摘されてきた.一方,日本においては,セクシュアリティの地理学(geography of sexuality)で扱われている同性愛者と具体的な地域との関連を明らかにした研究はいまだみられない.
今日,日本でもセクシュアルマイノリティに関する認識が高まっているが,社会生活上,苦悩を抱える当事者も多い。そこで,本研究では
ゲイバー
の集積がみられる東京都新宿区新宿二丁目が,ゲイ男性から同性愛的な空間としていかに認識されているか,さらに,同性愛的な空間がゲイ・アイデンティティおよびゲイ・コミュニティの形成にどのように関わっているかを明らかにすることを目的とした.
本研究においては,「同性愛者」を「『体の性』と『心の性』が一致しており,現在,同性に対してのみ性的指向が向く者」,また,「同性愛的空間(homosexual spaces)」を「同性愛者を対象にした商業施設の分布がみられ,それを利用する同性愛者によって特徴づけられる空間」と定義する.
まず,聞き取り調査ならびにゲイ男性向けwebサイト等,現地調査にもとづき新宿二丁目における
ゲイバー
の時間的・空間的特徴を分析した.次に,
ゲイバー
の就業者を含むゲイ男性への聞き取り調査から,新宿二丁目における同性愛的空間の利用の特徴および認識,新宿二丁目とゲイ・アイデンティティとの関連を把握した.また,新宿区への聞き取り調査により,行政と新宿二丁目との関わりについて検討した.
新宿二丁目には,約280店舗の
ゲイバー
が存在し,「新宿二丁目振興会」には,約150店舗の
ゲイバー
・レズビアンバーが加盟している.
ゲイバー
は,原則ゲイ男性のみ利用できるバー(「ゲイオンリーバー」)と,性別およびセクシュアリティに関係なく利用できるバー(「ミックスバー」,「観光バー」)に大別され,後者は,新宿二丁目における大通り沿いへの集積し,路面店である割合が高い.また,砂川(2015)などで指摘されているように,新宿二丁目の住民は,そのほとんどが同性愛者ではない.そのため,新宿二丁目の同性愛的空間は,
ゲイバー
を中心とする商業施設の営業時間である夜~早朝の時間帯に限定的に表出される.
同性愛的空間の利用に関して,30代以上は過去の利用頻度と比較し,減少傾向にあること,その要因としてパートナーおよび,新宿二丁目に限定されないゲイ・コミュニティの存在が明らかになった.また,とくに,異性愛者との利用に関しては,カミングアウトの段階との関連が示唆された.
近年,インターネットやSNSの普及により,新宿二丁目における同性愛者間のコミュニティ形成・出会いという機能は,相対的に減退している.また,コミュニティ形成に関して,セクシュアルマイノリティに限定されないコミュニティへ所属する者がいる一方で,自らのセクシュアリティと関連して,異性愛者主体のコミュニティから離脱する者もいた.
多くのゲイ男性にとって新宿二丁目は,“埋没性”や“抑圧からの解放”といったゲイ・アイデンティティと関連する肯定的な意味を持っていることが明らかとなり,欧米の地理学において示されてきた知見と同様の結果が新宿二丁目でもみられた.その一方で,新宿二丁目の重要性が低下してきている,もしくは,始めから特別な意味を付与していないゲイ男性の存在も少数ながらみられた.このことは,画一的に認識されがちなセクシュアルマイノリティの多様性を示す一事例といえる.
近年,増加傾向にある新宿二丁目への異性愛者・外国人の流入に関して,聞き取り調査においては拒否感を抱いているゲイ男性は少ない一方で,その認識は年齢層およびカミングアウトの段階によって変化することが示唆された.そして,新宿区立新宿公園での騒音による公園の夜間閉鎖は,新宿二丁目において,住民と同性愛的空間における就業者・利用者とが関わる問題を表している.
新宿二丁目の同性愛的空間は,求心力が衰えているものの,依然として多くのゲイ男性から肯定的な意味を付与されている.また,その空間は商業的機能も重視されているために,地域住民との共存という課題を抱えており,同性愛的空間の利用者に対する啓発活動の充実がより求められる.
抄録全体を表示