【はじめに】 オリンピック招致との関連し日本においても報道があったように、トルコでは現在「開発」をめぐって様々なデモが起きている。これは「開発」への抵抗の場であると同時に現政権(AKP:公正発展党)の政策への反対の場ともなっている。本発表で取り上げる「不法居住住宅(
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ェコンドゥ)」もその1つの事例である。
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ェコンドゥはトルコ語で「一夜建て」を意味する、いわゆる「不法居住住宅」である。トルコ共和国では、第二次世界大戦以降、都市化にともない大都市を中心に「
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ェコンドゥ」が多くみられるようになった。本発表においては、首都アンカラを事例に、「
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ェコンドゥ」がいかに構築されてきたのか、アンカラという都市空間の持つ意味を踏まえたうえで明らかにすることを目的とする。
【「ゲジ
ェコンドゥ」をめぐる都市政策の変遷と表象】 トルコ共和国の首都アンカラは、1923年に建国されて以降西欧化/近代化した空間を目指して、都市計画が進められてきた。モニュメントや公園、住宅というものを通じて「モダン」な空間が形成されてきたのである。第二次世界大戦後になると、冷戦構造の「対共最前線」としての重要性を見いだされたトルコは、アメリカの莫大な資金援助のもと、世界経済への参入をしていく。その過程の中で特に大都市を中心に現れてきたのが「
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ェコンドゥ」であった。 1970年代までは規制を受けつつも住宅政策欠如の代替物として容認の政策もとられてきたが、それは1980年代に入りネオ・リベラリズム的な都市政策を取る政府の政策により、「開発」の対象へと変化してきている。そしてそれは
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ェコンドゥの人々へのまなざしへも大きな影響を与えている。1950年代においては「近代的」な都市と地方の二項対立的図式によって、都市に現れた「田舎の“他者”」として
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ェコンドゥの人々は描かれてきた。しかしながら、ネオ・リベラリズム的まなざしが入ってくることにより、次第にネガティヴなイメージ(「脅迫的な“他者”」など)がそこに付与されていくのである。 このように、「
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ェコンドゥ」はその時代ごとのトルコの経済・社会・政治状況の文脈において創り上げられたものである。そして、この権力側の実践・表象が彼らの生活に様々な制約を与えているのである。
【「ゲジ
ェコンドゥ」をめぐる現状】 現在アンカラにある
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ェコンドゥは2015年には全てなくなるとも言われている。発表者がフィールドとする首都アンカラのDikmen Vadisi(Dikmen Valley)においても、1990年代以降公園、高層住宅等の建設を進める都市政策が進められている。そしてこのDikmen Vadisiでは2006年以降、組織化された住民運動が行われており、行政の「開発」に対して抵抗が行われている。住民運動については、今後機会を改めて報告する。また、今後は現在進行形で進む社会・政治状況を注視しながら、彼らの運動が制約を受けた「空間」を変える可能性について考察する。
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