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クエリ検索: "サバット"
17件中 1-17の結果を表示しています
  • サバット
    リィ ラウラ
    イタリア学会誌
    2007年 57 巻 96-123
    発行日: 2007/10/20
    公開日: 2017/04/05
    ジャーナル フリー
    イタリア、1930年4月から5月にかけてローマのパラッツォ・デッレ・エスポジツィオーニ・ディ・ベッレ・アルティの展示場にて大規模な日本美術展覧会が開催された。企画は大倉喜七郎男爵(1882-1963)によるもので、融資的な後援は男爵自身が全面負担した。ムッソリーニ政権の組織的な支援によって実現されたこの展覧会は、西洋において初の大規模な日本美術展であり、日本では後に「ローマ展」という名で知られるようになった。展示作品は日本美術院及び帝国芸術院所属の画家たちによる絵画で、その多くは近代日本画の傑作として知られるようになった。展覧会の具体的な準備は、日本画壇の代表者として日本芸術使節の役を担った横山大観(1868-1958)が担当した。大倉男爵・大観両方の希望でパラッツォ・デッレ・エスポジツィオーニの展示場は日本人の職人達の手によって改装され、展示空間は本格的な日本様式へと変更された。このローマ展は当時の日本・イタリア両側のマスコミに大きく取り上げられ、評論界においても来客数においても大成功を収めた。イタリアのインテリ界に日本美学の解釈法及び日本画の本質を理解してもらうために、当時の在日イタリア大使、ポンペーオ・アロイージ男爵(1875-1949)は1929年にArs Nipponica(『アルス・ニッポニカ』、日本の美術)という本を500冊限定部数で発表した。この本は、日本美術の様々な表現を紹介したもので、当時の日本美術界の主な研究者及び芸術家による日本美術の特徴を解説したエッセイがイタリア語で掲載されていた。日本の代表的な建築物と芸術作品のきれいな写真及び日本人専門家のエッセイを集めたこの本こそは、イタリア側の評論家に不可欠な参考書になった。エッセイの中でも「日本絵画の本質に関する考察」と題する、画家・川合玉堂(1873-1957)によって執筆されたものは特に参考になったように思われる。そこには、日本美学の基本的な要素として《余韻》、《余白》などのような概念が述べられており、イタリア人記者・批評家の批評はそのコンセプトをしばしば借用した。本論文はその批評の中でより興味深いものを中心に議論することとした。イタリア側の多くの批評は〈繊細さ〉、〈優美さ〉、〈理想主義〉、〈鮮やかなポリコロミー〉及び〈様式性・本質性〉という日本絵画の独特な性質を特に評価した。その批評を書いた人物の中に作家及び語学者、ピエトロ・シルヴィオ・リヴェッタ氏(1886-1952)及び建築美術史家・評論家、ロベルト・パピーニ氏(1883-1957)がいた。前者は普及者として重要な役目をもち、後者は日本絵画に対する独自の評価が美術評論上興味深い意義を持った。リヴェッタはもともと美術評論家ではなかったこともあり、当時の定期刊行物に掲載された日本絵画に関する彼の批評は『アルス・ニッポニカ』からの借用が特に目立ち、美術評論上オリジナリティーがあまりないように思われる。しかし、1930年に出版された彼の本、La pittura moderna giapponese(『日本の近代絵画』)は、一般のイタリア人に日本文化に対する知識を普及させた。この普及者としての役割は重要である。この日本美術展に関するコメントを執筆した評論家の中で日本画の"gusto primitivo"、即ち"ルネサンス前派の芸術家たちらしい美的センス"を指摘し、意義深い批評を書き残したものもいた。ロベルト・パピーニはその批評家の一人である。彼は日本画には《無邪気さ》、《謙虚さ》、《盛大さ》及び《壮大さ》という独特な要素が見られると指摘し、日本の伝統的な絵画は"プリミティーヴィ(Primitivi)"と呼ばれる(特に13世紀と14世紀の)イタリアの中世後期・ルネサンス前派の画家たちの絵画に似たような特徴をもつと強調し、日本絵画を評価した。パピーニのような批評は実はローマ展以前にもすでに行われていた。1911年にローマで開催された博覧会にて日本絵画が展示され、日本画はルネサンス前派、"プリミティーヴィ"を連想させると、文学評論家エミリオ・チェッキ(1884-1966)がすでに指摘していた。ルネサンス前派と日本画・中国画との両絵画に形式上・技法上の類似点が実際存在し、自然と対峙されがちなところがあるが、イタリアのファシスト政権時代における芸術界の事情を考えると、パピーニの批評は新たな意義をもつようになると思われる。20世紀初頭、ヨーロッパ中に様々なアバンギャルドの芸術が風靡した後、20年代から30年代にかけてイタリアにおいても、そして欧州全体の芸術界においても、伝統の形像的な表現法への回復傾向が表れた。当時のイタリアにおける文化・芸術討論はジョット、ピエロ・デッラ・フランチェスカ、マサッチョのようなルネサンス前派及びルネサンス前期の芸術家たちの遺産が高く評価され、その伝統様式への復興の呼びかけが強まると同時に、ファシスト政権は芸術界において新古典主義を強調していったのである。実際、日本画に対するパピーニの評価、即ち近代日本画の中で見られる、東洋の古典より着想を得た《本質的で堂々とした雄大さ》という彼の批評には当時のイタリアの美術史・美術評論界の思想・傾向及びファシスト政権の独自の理想が反映されていたと考えられる。その理想は国家の土着の伝統に見られる、その古典の"聖なる"、単純で高貴な性質であり、その復興への呼びかけ及び称賛が独特で、ファシスト政権の国粋主義の一面と重なった。ローマ展は様々な局面において重要なイベントであった。それまで非常に限られた小数の評論家の中に留まっていた日本美術への関心はこのローマ展で広まり、日本絵画の美学はようやくイタリアのインテリ界にて幅広く取り上げられるようになり、体系的に分析されることになった。ただ、日本美術がイタリアのマスコミによって大きく取り上げられたのは、このローマ展へのファシスト政権の組織的な関わり及び支持があったからだと思われる。この際に作成された参考書『アルス・ニッポニカ』の重要性も大きいと言っても過言ではない。そこに掲載された日本人専門家によるエッセイはイタリア側の批評に非常に参考になったものであり、この点に関しても、日本美術史上その歴史的な意義は極めて重要だと考えられる。また、イタリア側の批評に関して、日本美学の特徴が当時のイタリアの美術史・美術評論の傾向に従って評価され、その評価にファシスト政権の理想も反映されていたという点は特に意義深いことである。
  • エチオピアのグラゲ道路建設協会の経験
    西 真如
    アフリカ研究
    2008年 2008 巻 72 号 17-31
    発行日: 2008/03/31
    公開日: 2010/04/30
    ジャーナル フリー
    エチオピアのグラゲ道路建設協会は、南部州グラゲ県の農村から首都アジスアベバに移住した人びとが、故郷の村に道路や学校を建設する目的で、1962年に設立した住民組織である。当時、エチオピア南部の農村は、貴族支配と結びついた収奪的な大土地所有制のもとに置かれていた。同協会の活動は、同国で都市から農村への再配分の仕組みを形成しようとした、最初の試みのひとつとして捉えることができる。
    この事例の検討を通して、本稿では次のふたつの問題を検討する。ひとつは、住民組織と国家との関係である。とりわけ特定の集団が利益を得るために、他の集団の利益が構造的に排除されている1960年代のエチオピアのような体制に対して、対抗的な社会関係を構築してゆくための政治実践の方法について考察する。もうひとつの問題は、住民組織に参加する人びと相互の関係である。都市と農村という社会の異なる領域で生活する人びとのあいだに、民主的な社会関係を築くための交渉の手法を、グラゲ道路建設協会の経験を通して明らかにする。
  • 小池 関也, 木村 大志, 川村 卓, 藤井 範久, 高橋 佳三, 阿江 通良
    Dynamics & Design Conference
    2003年 2003 巻 448
    発行日: 2003/09/16
    公開日: 2017/06/19
    会議録・要旨集 フリー
    No one can know how baseball players exert forces and moments on the grip handle from the batting motion. Because the bat is manipulated by double hands in batting, the upper extremities and the bat make a closed multiple-segment loop. The purpose of this study was to investigate three-dimensional kinetics of the upper extremities using an instrumented bat which measure forces and moments exerted on the bat by hands. Five varsity baseball players volunteered to participate in this study as subjects. The subjects performed T-batting, and they hit the ball as strong as they could. From the results obtained by this study, the role of the bottom side arm is making acceleration of the bat, and that of top side arm is doing modification of the bat motion.
  • 狩野 徳太郎
    水利科学
    1968年 12 巻 5 号 79-100
    発行日: 1968/12/01
    公開日: 2021/05/10
    ジャーナル フリー
  • 国際保健医療
    2018年 33 巻 4 号 341
    発行日: 2018/12/20
    公開日: 2019/01/15
    ジャーナル フリー
  • 阿部 邦子
    国際教養大学 アジア地域研究連携機構研究紀要
    2021年 13 巻 1-13
    発行日: 2021/12/31
    公開日: 2022/05/25
    ジャーナル オープンアクセス
    この論考では、秋田県角館町生まれの画家平福百穂の代表作に焦点をあて、その画業が頂点に達した時期に開催された1930年ローマ日本美術展の歴史的背景と意義、また出展した百穂の役割、またローマ展出席を兼ねた欧州各国視察を通しての、日本画・西洋画についての百穂の考察を探る。琳派に通じる洗練された装飾性とスケールの大きい躍動感あふれる構図を特徴とする、1926年制作の「丹鶴青瀾」及び「荒磯」(千鳥)、そして1930年ローマ展日本美術展に出品され、ムソリーニに贈呈された1929年制作の「荒磯」(鵜)の3作品をとりあげる。
  • 近代エチオピア社会とスルテのひとびとの歴史
    西 真如
    アフリカ研究
    2003年 2003 巻 63 号 1-15
    発行日: 2003/12/20
    公開日: 2010/04/30
    ジャーナル フリー
    国民国家の枠組みが揺らぐ世界的な傾向のなかで, エチオピアは民族自治にもとづく連邦制へと移行した。諸民族の連邦国家に期待されるのは, 人びとの幅広い参加による民主主義の実現である。ところがエチオピアの新しい国家秩序は, エスニシティの政治化という問題を提起した。人びとの自律的な規範と文化によって形成されるのが「ほんらいの」エスニック集団であるとすれば, 連邦制のもとで定義される「民族」は, 国家エリートによって操作される政治的な運動として, 人びとのまえに現れる。
    本稿では, 国家とエスニシティとの関係を, 強制的な支配と自律的な文化との対立関係として捉えず, その代わりに人びとの自発的な活動と, 国家のヘゲモニーとの相互作用のなかで形成されるエスニシティに注目する。そしてエチオピアでスルテ (あるいはグラゲ) と呼ばれる人びとのエスニシティ形成の考察をとおして, 人びとの自発的な活動に, 国家のイデオロギーが作用してきた過程を描こうとする。
  • 山田 肖子
    アフリカ研究
    2009年 2009 巻 75 号 52-54
    発行日: 2009/12/31
    公開日: 2013/01/18
    ジャーナル フリー
  • 志保井 利夫
    鉱山地質
    1953年 3 巻 7 号 49-50
    発行日: 1953/05/10
    公開日: 2009/06/12
    ジャーナル フリー
  • アジア・アフリカ地域研究
    2010年 9 巻 2 号 252-269
    発行日: 2010/03/31
    公開日: 2018/12/05
    ジャーナル フリー

    西 真如.『現代アフリカの公共性-エチオピア社会にみるコミュニティ・開発・政治実践』昭和堂,2009年,320p.

    宮脇 幸生

     

    中西嘉宏.『軍政ビルマの権力構造―ネー・ウィン体制下の国家と軍隊 1962-1988』京都大学学術出版会,2009年,xiv+321p.

    山根 健至

     

    在来家畜研究会編.『アジアの在来家畜-家畜の起源と系統史』名古屋大学出版会,2009年,461p.

    片山 一道

     

    籠谷直人・脇村孝平編『帝国とアジア・ネットワーク―長期の19世紀』世界思想社,2009年,358p.

    島田 竜登

  • 西 真如
    アフリカレポート
    2017年 55 巻 128-139
    発行日: 2017/10/26
    公開日: 2020/03/12
    ジャーナル フリー HTML

    エチオピアの現政権は、民族語による教育と行政機構の徹底した分権化とを柱とする民族自治制の導入を通して、多様な歴史文化的アイデンティティを持つ民衆の支持を確保しようとしてきた。ところが2015年11月以降、オロミヤ州およびアムハラ州において、政府に不満を表明する民衆の抗議行動や暴動が頻繁に起こるようになった。民族自治のイデオロギーと制度が民衆の支持を調達する機能を喪失しつつある中で、国家が民衆とのつながりを取り戻す方法はあるのだろうか。本稿では、国家が歴史文化的なアイデンティティを迂回して人々の「生そのもの」に働きかける方法としての治療のシチズンシップについて検討する。エチオピアで急速に拡大してきた保健介入は、国家が国民の治療の要求に応え、国民の支持を調達する機会を提供するものである。とりわけ同国の抗HIV治療体制は、グローバルな感染症対策の専門機関や資金調達の仕組み、連邦政府および地方政府の機関、そしてHIV陽性者団体といったアクターを巻き込んで、国家と国民との間に新たな結びつきをつくりだしてきた。

  • 薮 耕太郎
    体育学研究
    2008年 53 巻 1 号 123-135
    発行日: 2008/06/30
    公開日: 2008/09/13
    [早期公開] 公開日: 2008/07/10
    ジャーナル フリー
    It has been considered that budo (the generic name for Japanese martial arts, reconstructed from bujitsu by the Meiji era) began to be spread overseas by elite budo experts from the 19th century, and this has now become a popularly held historical view. Meanwhile, bujitsu (the generic name for Japanese traditional martial arts) experts who had been overseas at that time were considered less significant. Because the difference between budo and bujitsu was fuzzy at the time, bujitsu was considered to lie within the same mission as budo in terms of being spread overseas.
    By focusing on Shotaro Fukuoka's mission in Paraguay, and particularly on the recipients there, this study reconsiders the mission of budo overseas by non-elite jiu-jitsu (one kind of bujitsu art) experts. The study highlighted three points. Firstly, in the local newspaper, jiu-jitsu was considered to be an effective discipline, both physically and mentally, similar to swordplay and gymnastics. Secondly, jiu-jitsu was adopted by the local sports club as self-defense training. The present study considers that adoption of jiu-jitsu was smooth in the sports club. Thirdly, jiu-jitsu was used for show at mixed martial arts contests organized by the sports club for entertaining the local public.
    The fact that jiu-jitsu was widely adopted by the local public in Paraguay suggests that Fukuoka's mission was not to seek a certain type of adoption but rather flexibility. Finally, the local sports club became not only a recipient of jiu-jitsu, but also a dispatcher by teaching public jiu-jitsu classes, which enabled various classes of people to participate in jiu-jitsu.
  • 志保井 利夫
    鉱山地質
    1953年 3 巻 8 号 119-124
    発行日: 1953/07/25
    公開日: 2009/06/12
    ジャーナル フリー
  • 小池 関也, 白木 仁, 藤井 範久, 阿江 通良
    会議録・要旨集 フリー
    No one can know how golf players exert forces and moments on the grip handle from the swing motion. Because the club is manipulated by double hands during swing, the upper limbs and the club make a closed multiple-segment loop. In this paper, an instrumented club equipped with strain gauges was proposed to reduce the difficulties of the closed loop problem. The strain sensors provided information about forces or moments, such as 1) torsional moment acting on the grip axis between hands, 2) bending moments at each sensor position, and 3) tensile and compressive axial forces. Unique solution of forces and moments exerted by hands was achieved through force and moment equilibrium conditions using the information. Four varsity golf players volunteered to participate in this study as subjects. They performed tee shots, and they hit the ball as strong as they could. From the results obtained by this study, the both hands acted couple force for angular acceleration of the club, and the top side hands of some subjects acted force which is making acceleration of the club.
  • 五島 利兵衛
    日本建築学会計画系論文報告集
    1985年 353 巻 129-140
    発行日: 1985/07/30
    公開日: 2017/12/25
    ジャーナル フリー
    Many scholars have researched the methods by which medieval vault panels might have been constructed. Differing proposals have been made by Viollet-le-Duc, Lassaux, Choisy and Fitchen. Among the methods proposed have been the cerce mobile method, the freehand or stone-weighted rope method, the planking method and the lagging units method. However, it remains unresolved as to which method was actually used. It is the hypothesis of this paper that the method employed was primarily the freehand method incorporating some features of the cerce mobile method. In support of this hypothesis. I have herein taken up the classification and description of the feasible methods of the laying of vault panel voussoirs.
  • 認知症の疑われる女性の書いた日記のドキュメント分析
    田中 元基, 大橋 靖史
    質的心理学研究
    2024年 23 巻 1 号 133-154
    発行日: 2024年
    公開日: 2024/04/01
    ジャーナル フリー
    本研究では,家族から認知症を疑われた女性の20 年間にわたる日記を対象に,クルト・レヴィンの生活空間を枠 組みとしたドキュメント分析を行い,生活空間の変容を描き出した。その結果,日記著者の生活空間には,関係性的要因と時間的要因の変容が見出された。関係性的要因は,①著者と日記の関係性の変容:日記の内容が,備忘録の多かった時期から心情表現の多くなる時期へ変容する。②登場人物の関係性の変容:家族以外の人物の記述の多かった時期から家族中心の記述の多くなる時期へ変容する。時間的要因は,①時間連続性の変容:出来事を記述する順番が,出来事の起きた順番通りに記述していた状態から,次第に不連続に記述することが目立つようになる。②時間指向性の変容:日記に記述される時間範囲が狭まり,不明瞭なものになる。日記著者の生活空間は,一般的な成人の生活空間と考えられる時期(第Ⅰ期)から,次第に領域の境界があいまいになり(第Ⅱ期),関心が現在指向になるとともに,生活空間内での移動範囲が狭まる時期(第Ⅲ期)へ質的に変容していった。生活空間を枠組みにすることによって,加齢的変化や認知症の病的変化といった側面から対象の体験を切り分けて理解するのではなく,個人の体験の全体的な理解が可能になると考えられた。
  • 和[ザキ] 聖日
    生活学論叢
    2008年 13 巻 3-14
    発行日: 2008/09/30
    公開日: 2021/03/29
    ジャーナル フリー
    This study analyzes the life histories of beggars of different ethnic groups in Tashkent, Post-Soviet Uzbekistan of Central Asian. First, I explain the historical background of Tashkent and its today's socioecomoic situation. And I intend to reveral the change of meaning of being beggars after the religious revival of Islam by the independence from Soviet Union. To do something for others involving beggars as sadaqa has got to contain some connotation to be good, different from having been bad because of laziness of not working in the Soviet days. Lastly, the following points will be presented through the analysis of their life histories. (1) Subjective construction of creation of social-cultural reality by the beggars. (2) The meanings of living in Tashkent metropolitan society as the beggars. (3) Urbanity of Post-Soviet Tashkent. These findings show that there is a variety of possible ways of living in human societies. And I try to make clear the characteristics of urban attraction which Post-Soviet Tashkent contains at the rolling times in Uzbekistan by analyzing subjective realities of, for and by beggars.
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