ポーランドでは、自国と自民族がヨーロッパ世界のなかでいかなる位置を占めるかという問題をめぐって、中世以来、さまざまな立場から議論が展開されてきた。「サルマチア」は、そのような言説が編成されるさいに重要な核となるトポス(場所/定型的表現)である。本稿では、東中欧地域におけるヨーロッパ的アイデンティティの特質を探る手がかりとして、サルマチア概念の歴史的変遷を考察した。ポーランドの人文主義者たちは、ヤギェウォ朝ポーランド=リトアニア国家の起源を古代サルマチアに見い出すことによって、自国がヨーロッパの古典的伝統に連なる存在であることを主張した。ルネサンス期に形成されたサルマチア起源論は、バロック期に「
サルマティズム
」と呼ばれるイデオロギーと生活様式の複合体を生み出した。その中心的な担い手であるシュラフタ(貴族身分)は、「サルマタ」(サルマチア人)として自己表象することによって、ルネサンス期とは逆に、ヨーロッパ世界における自国の異質性と優越性を強調した。一八世紀の啓蒙主義者は、
サルマティズム
を克服すべき旧弊として批判したが、分割によって国家の独立が危機にさらされると、
サルマティズム
は国民意識の表現として再生した。トポスとしてのサルマチアは、ヨーロッパ文化圏への帰属を主張すると同時に、ヨーロッパ世界におけるポーランドの辺境性・異質性をも表象する、両義性をはらんだ概念であるといえる。
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