現在のビルマ (ミャンマー) において「古典歌謡」として位置づけられている歌謡作品群「大歌謡 (thachingyi)」は、二十前後の下位
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に区分されている。特定の
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に属する作品は旋律を共有して類似しているものが多く、また
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区分は歌謡集において明示されていることもあり、作品の
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区分についての疑問はこれまで呈されてこなかった。
筆者はこれまでの研究において、作品が作られた時点では作品の全てに
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名が付されていたわけではないことを指摘した。一八七〇年に編纂された貝葉写本において、大歌謡作品を全ていずれかの
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に区分したことが初めて確認できたが、それ以降に作られた歌謡集においても、
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帰属が一定しない作品も見られた。そのことから、作品と
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の関係は、もともとは固定したものではなかったのではないかと考えられた。
本稿では、各
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に属する作品の全てが、他の
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の作品と排他的に区別される指標を持っているわけではないことを論じる。作品の中には、二つの
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に解釈されて演奏し分けられている作品、または
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を定義するとされる指標の一つである調律種を他の調律種と交換して演奏される作品などがある。
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帰属は異なるが、歌詞と旋律の両方を共有した二つの作品もある。これらの、従来の
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定義に当てはまらない作品は、常に二つの
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の指標に関係しており、三つ以上の
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の指標に関係することはない。このことから、各
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は創作技法が変化していく時間軸上に並べられ、これらの例は、
ジャンルからジャンル
への移行期を示す作品であると考えることができる。
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という括りは、ある特定の指標を共有する作品が複数存在することから喚起されるものであるといえるが、その範囲は決して他の
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と排他的に区別されるものではなく、
ジャンルとジャンル
の間には創作の連続性が見られる。
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