白雪姫に始まるディズニーのヒロインたちは、美貌を備え、従順で王子様に救済されるのを待ち続け、運命を自ら切り開こうとしないという意味で、常に受動的な存在であり、また、家事をよくこなす良妻賢母予備軍であり、旧来の家父長制の枠内に都合よく収まるヒロインたちであった。翻って今日の日本の劇場用長編アニメであるジブリ作品を見てみると、際立つのはヒロインの能動性であるが、それは必ずしも単純に日本の現代の作家が女性の自立を肯定しているということにはつながらない。詳細に検討していくと、特に宮崎駿監督作品では、能動的な少女と、地母神的な「Big Mother」との両面が異なるキャラクターとして登場し、二者の間に大きな断層があるように見られるなど、作者のジェンダー観に捻れがあるように感じられ極めて興味深い。
本論では、ディズニーのジェンダー観の検討から出発して、主に宮崎駿監督作品に見られるジェンダー観について検討し、今日のアニメーション映画におけるジェンダーのあり方についての考察を試みる。
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