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クエリ検索: "ドラゴン怒りの鉄拳"
3件中 1-3の結果を表示しています
  • 雑賀 広海
    映像学
    2024年 111 巻 177-197
    発行日: 2024/02/25
    公開日: 2024/03/25
    ジャーナル フリー

    『燃えよ!じじぃドラゴン 龍虎激闘』はカンフー映画史に言及する映画である。というのも、1970年代のカンフー映画に出演していた俳優たちが主要な役柄で出演しているからだ。さらに、オープニングクレジットは映像と音楽がともに『

    ドラゴン怒りの鉄拳
    』を想起させる。1970年代へのノスタルジーに満ちた本作だが、この映画以外にも同様のノスタルジー映画が同時期に香港で製作されている。本稿ではそうした文脈に目を配りつつ、カンフー映画によるカンフー映画史への言及という点に注目する。興味深いことに、同様の試みをおこなう映画が『じじぃドラゴン』公開からわずか4年後に製作されている。それがドニー・イェン主演の『カンフー・ジャングル』である。『カンフー・ジャングル』は『じじぃドラゴン』よりも広範囲な映画史を描きだす。それでは『カンフー・ジャングル』は『じじぃドラゴン』と同様の試みとしてその延長上に位置づけられるのだろうか。本論文は、カンフー映画史をめぐるこれまでの言説を整理したうえで、この2作品が異なるカンフー映画史の解釈を持つことを主張する。そして、それぞれの映画が描くカンフーマスターの身体に現れる政治性を明らかにする。カンフーに着目すると、『じじぃドラゴン』は悲観的な感傷を誘い、『カンフー・ジャングル』は能動的な読解を要求する映画であることがわかる。

  • 雑賀 広海
    映画研究
    2018年 13 巻 4-28
    発行日: 2018年
    公開日: 2019/03/15
    ジャーナル オープンアクセス
     本論文は、成龍が主演デビューしてから初監督作品『笑拳怪招』(1979) を手掛けるまでの1970年代香港映画に着目する。成龍に関する先行研究は、監督と主演を兼任する、いわゆる自作自演という点については十分に論じていない。本論文は、『笑拳怪招』を中心とする議論を通して、監督と俳優の関係、または作品内における父と子の関係がどのように描かれているか考察する。
     1980年代に黄金期を迎えるまでの香港映画産業では、監督と俳優の間には厳格な封建的関係が結ばれていた。しかし、1970年代の李小龍の登場から独立プロダクションのブームを経て、監督と俳優の父子関係は崩壊していく。それを象徴するのが羅維と成龍の関係性である。だが、『笑拳怪招』に見るのは父子関係の崩壊だけではなく、監督と俳優の間にある境界の曖昧化でもある。この曖昧化は黄金期を特徴づけるものであり、したがって、本作は1970年代末の転換を象徴する重要な作品であるという結論に至った。
  • 雑賀 広海
    映像学
    2021年 105 巻 67-87
    発行日: 2021/01/25
    公開日: 2021/02/25
    ジャーナル フリー

    新藝城は1980年に設立されると、またたく間に香港の映画市場を席捲した。新藝城の作品が劇場を支配し、新人監督がデビューする場であった独立プロダクションの作品を公開する機会はきわめて限定されてしまう。したがって、新藝城は1970年代末に期待された多様な映画製作の種を摘み取った会社として、否定的な評価を与えられることがしばしばある。また、作品の内容についても、物語やギャグが形式的で画一的であると批判される。その一方で、それまでの興行収入の記録を大幅に更新し、1980年代の香港映画産業を牽引した存在であることは確かである。本論文は、新藝城の功罪について、新浪潮を代表する監督の一人であり、新藝城の中心メンバーでもあった徐克を中心に再考する。とくに注目するのが、集団創作という新藝城の製作体制であり、この体制においては監督個人の判断で撮影することは厳しく禁じられていた。そのために、徐克は数年で脱退することになるものの、集団創作の経験は有益だったとも述べている。本論文が注目するのは、新藝城の集団創作が香港映画産業を席捲することで、俳優や監督など、映画製作におけるそれぞれの専業が入り乱れ、無制度的状態と化したことである。そして、作家主義とは相反するような新藝城の集団創作が、徐克や1980年代の香港映画産業に与えた影響を明らかにする。

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