ミクロネシアのなかでは,マリアナ諸島が最もよく考古学的発掘調査がなされている。しかし,従来のマリアナ諸島の発掘は,全てグァム,ロタ,ティニアン,それにサイパンという南部マリアナ•グループに限定され,サイパンの北にのびている,いわゆる北部マリアナ•グループについては,昭和12年に八幡一郎上智大学教授:が調査され,遺跡の存在を報告し,試掘を行なった以外,全くなかった。
我々の今回の
パガン島
のレグサにあるlatte(石柱列)の発掘調査は,次のことを明らかにした。
(1)八幡教授(1943)の既に指摘されたごとく,このlatteの形状,材質は南部マリアナ•グルーフ.のものと地質条件によって若干異なっていたが,遺物は全く同じで,彼我の文化交流の行なわれていたことを示していた。
(2)層位的には,無遺物の間層を(II)はさんで2層が認められ,下層(III)の方が時代的にlatteに属す。この層からのカーボン14の年代は,A. D.1325±90,1495±115,1665±95の3つが得られた。
(3)南部マリアナ•グルーフ。にしばしば認められる,latte内外の埋葬はここではなかった。
(4)南部マリアナ•グループの最下層で普遍的に出土する「マリアナ赤色土器」は発見されなかった。
(5)明代末の中国製磁器の破片が出土した。
(6)白人渡来以前に,原住民であるチャモロ人が金属器を所有していた可能性がある。
(7)また,従来,全く知られていなかったキジ科の鳥骨の出土は,古代のチャモロ人が家禽をもっていたことを強く示唆している。
(8)フィリッピンのタボン洞窟出土と同じ瑪瑙製のビーズが1個出土し,従来,説かれてきた,マリアナ•フィリッピンの間の親縁関係の存在が,最早疑い得ないものになった。
要するに,チャモロ文化は,フィリッピンとかなり強い親縁関係にあることが判明したのである。
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