本論文では、オーラルヒストリーの手法と統計資料を用いることで、基地依存度の高い
沖縄市が基地経済脱却を目標にどのような政策をとりながら観光経済にシフトしようとし
たのかを捉え、その上でどのような問題点と課題があるのかを考察する。また、こうした
観光地化を行う上での現実的な問題点を通して、歴史的に地元民と軍人・軍属の関係性がどのように変化してきたのかをミクロに捉えることも目的としている。その際に戦後から復帰前まで軍人・軍属の娯楽施設だった「A サインクラブ」とそのクラブの要素を多く踏襲した復帰から現在にかけて存在している「ポストA サインクラブ」という演奏空間を通して、上記の内容について考察する。
沖縄市は、「基地の街」という別名を持ち、嘉手納基地を中心に経済発展した。嘉手納基地は「アジア最大の米軍基地」という名で知られるほどの面積を持ち、沖縄市の36%を占めている。特に、嘉手納基地は朝鮮戦争やベトナム戦争の最重要拠点基地だったため、沖縄市には他の市町村の軍人・軍属の数よりもその数が圧倒的に多く、軍人・軍属のための歓楽街まで形成された。
また、沖縄市は「基地の街」とともに「音楽の街」としても認識されている。軍人・軍属の歓楽街では地元民が彼らのために海外のポピュラー音楽を演奏し、「沖縄ロック」や「沖縄ジャズ」と呼ばれる沖縄独自の音楽ジャンルが誕生した。しかし、本土復帰に伴って基地経済は衰退し、軍人・軍属の歓楽街も徐々に衰退していった。沖縄市はこうした状況から基地経済脱却を掲げて、市の音楽資源を活用した地域活性化と観光誘致に取り組み始め、その際に軍人・軍属の娯楽施設だったA サインクラブやポストA サインクラブも観光資源の一つとして活用するようになった。
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