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クエリ検索: "フレデリック・ヘンドリック" オラニエ公
1件中 1-1の結果を表示しています
  • 宗教改革後ユトレヒトにおける都市共同体再編とカトリック
    安平 弦司
    史学雑誌
    2022年 131 巻 1 号 1-39
    発行日: 2022年
    公開日: 2023/01/20
    ジャーナル フリー
    本稿は一七世紀のオランダ共和国、中でもユトレヒト市における宗派共存を、カトリックと市民権に着目しながら論じる。近世を通じて恒常的な財政難に悩まされていたユトレヒトは、一五八〇年に公認宗派を改革派に限定しカトリックの信仰実践と集会を非合法化したが、一六三〇年代半ばまでにオランダ共和国における改革派とカトリック双方の拠点となった。中世以来、他都市と比べてより選択的・排他的であったユトレヒト市民権の獲得条件に、カトリック差別が導入されたのは一七世紀半ばのことであった。都市共同体の宗教的浄化を目指す改革派教会が提案した、カトリックから市民権の獲得権利を奪う方策を、市参事会は経済政策の一環として採用し、経済的に有用なカトリックには市民権を付与する余地を法文の中に設けた。実際、一六五五~七九年に一三一名のカトリックが市民権を申請し、そのうち一一〇人がその獲得に成功していた。彼らに市民権取得を可能にさせていたのは、申請時点で既に存在した自身と都市共同体の繋がりであった。特に、カトリックの社会経済的名士は同宗派の市民権志願者の庇護者・身元保証人としてなくてはならない役割を果たしていた。また、カトリックは市民性を独自の仕方で認識し、市民としての権利や良心の自由を言説的に奪用することで、司法当局を非難し、公権力に市民を保護する役割を思い出させようともしていた。改革派教会がカトリックを都市の公的秩序に仇なす内なる「敵」として表象していたのに対して、一部のカトリックは自らや同宗派人を改革派同様の「良き愛国者」・「良き市民」であると表象した。加えて、宗派的帰属意識と市民的帰属意識が分かちがたく結びついたままのカトリックも存在した。このように、改革派教会、為政者、そしてカトリックは、それぞれ相反する都市共同体観を持ちながら、宗教改革後のユトレヒトを多宗派都市へと再編していく過程に参与していたのである。
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