本論の分析対象は,ポーランド第二共和国初期(1918年10月〜1921年12月)に存在した,ポーランド(旧ロシア領・オーストリア領)における食糧徴発・配給政策を管轄する配給省(Ministerstwo Aprowizacji)の経済政策である。本論は,配給省およびその付属官庁(国立穀物局Paristwowy Urzad Zbozowyおよび国立馬鈴薯局Panstwowyll Urzad Ziemniaczany)の文書および当時の日刊紙などを用いて,この官庁の実務を担当したレオナルド・ザボロフスキ(Leonard Zaborowski)およびイェジ・ゴシチツキ(Jerzy Goscicki)という2人の人物の活動を検討しつつ,配給省の統制政策がどのように行われ,さらにいかなる限界を持っていたのかを分析する。その分析から明らかになるのは,暴利取締の限界や商工業者の反発さらに外国からの穀物輸入計画の失敗などにより,この統制経済の試みが破綻したことであり,またこの戦中から戦後における統制経済の失敗が,その後の価格統制制度や経済学者の統制経済への否定的な態度を生み出す原因となったとも本論は主張する。
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