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クエリ検索: "マントラ"
597件中 1-20の結果を表示しています
  • 藤井 明
    印度學佛教學研究
    2020年 68 巻 3 号 1243-1247
    発行日: 2020/03/25
    公開日: 2020/09/10
    ジャーナル フリー

    タントラ文献がその秘匿性を保つ方法としてはsandhyā-bhāṣā(あるいはsandhā-bhāṣā)という隠語の機能を備えた密意語(あるいは,たそがれの/含みをもった言葉)という術語が挙げられる.またタントラ仏教文献で,ある単語が特殊な意味合いで用いられる文脈が存在し,暗号の様に用いられる語が見受けられる.また,

    マントラ
    の暗号化とその解読の法則を含むmantroddhāraが挙げられる.これは特定の語や図形を用いて
    マントラ
    を暗号化,観想する法則も含み,類似の方法はヒンドゥータントラ文献に多く認められる.本論文では,Hevajratantra(HT)内の暗号化の法則とヒンドゥー教版Bhūtaḍāmaratantra(HBT)の
    マントラ
    の暗号化の法則を提示し,HBTの暗号化の特徴を明らかにすることを目的とする.仏教版Bhūtaḍāmaratantra(BBT)では,HBTに見られるような
    マントラ
    の暗号化はなされていない.その為,BBT内の
    マントラ
    とHBTの
    マントラ
    を対照することで,HBTが如何にBBTの
    マントラ
    を取り入れているかも考察した.考察の結果,HBT中ではHTに見られるprathamasya prathamaの様な方法は用いられず,HBTの音と単語との対応はHTの単語の対応とは別の伝統に属し,同様にVaiṣṇavaとも異なる伝統に属するものであることが確認された.また,HBTがBBTの
    マントラ
    をも踏襲していることが明らかとなった.しかし,仏教に特有の術語を用いることを避け,改変した上で暗号化を施したと考えられる.

  • 伊澤 敦子
    印度學佛教學研究
    2015年 63 巻 3 号 1168-1173
    発行日: 2015/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    upa-sthaという動詞は,黒Yajurveda-Samhitaの散文においては,(1)礼拝する,(2)仕える,そばにつき従う,という2つの意味に限定して用いられる.これらのうちで,具格を伴う例が約3分の1を占める(288例中91例).本稿ではこの用法について考察した.まず,具格を伴うupa-sthaは,全て(1)の意味で使用されており,Agnyupasthana(祭火の礼拝)の部分に57例,Agnicayana(祭火壇構築祭)の部分に27例,その他の部分に7例見出される.また,具格で示される対象を7種類((1)唱える詩節の数,(2)代名詞,(3)韻律又は韻律名,(4)唱えられる
    マントラが捧げられる神格やそのマントラ
    に含まれる語,(5)
    マントラ
    の名前,(6)Saman名,(7)その他(2例))に分けて調査した結果,(6)までは具格によって
    マントラ
    が示されていると断定できるが,以下の(7)の2例に関しては更なる検討を要することがわかった.第1例: Kathaka-Samhita 20.5 (23,11-12) sarpasirsair upatisthate 第2例: Kathaka-Samhita 35.17 (62,18-63,1) manasopatistheta 特に前者のsarpasirsaniが何を意味するかは不明である.ただしMaitrayani Samhita 3.2.6 (23,16-18)の中のこの語に対応すると見られるsarpanamaniは特定の
    マントラ
    を指すということが,Srautasutraによって知られている.これらの点を踏まえて,以下の結論を導き出した.Rgvedaなどそれ以前の文献では,upa-sthaと具格の結びつきは強くなく,また,具格によって示される語の意味が限定されることはなかった.しかし,黒Yajurveda-Samhitaの散文においては,upa-sthaが具格を伴う場合は,必ず「礼拝する」という意味で用いられ,その具格は,不明の1例((7)の第1例-sarpasirsani)を除いて全て
    マントラ
    を示すことが明らかになった.従って,この例も
    マントラ
    の呼称である蓋然性が高く,sarpasirsaniとsarpanamaniが同一の
    マントラ
    を指す可能性も否定できない.
    マントラ
    が具格によって示されるのは珍しくはないが,upa-sthaの場合,具格がそれ以外の意味で使われることがないということ,更に,Agnyupasthanaの次にAgnicayanaの部分にこの用法が多く見られるという点に注意すべきであろう.
  • 望月 海慧
    印度學佛教學研究
    2020年 68 巻 3 号 1248-1256
    発行日: 2020/03/25
    公開日: 2020/09/10
    ジャーナル フリー

    DīpaṃkaraśrījñānaのMantrārthāvatāra (P. 4856)の表紙には「Dīpaṃkaraの13の

    マントラ
    の流儀に入る」とあり,また,Citāvidhi (P. 4868)の奥書には,「Dīpaṃkaraの
    マントラ
    の流儀は13である.すべてがあるならば,珍しい.13は,
    マントラ
    の意味に入ることと,灌頂と,三摩耶の秘密と,天宮の布施と,水供養と,護摩と,天供養と,寿成就と,死を欺くことと,命終の論書と,荼毘護摩と,七句と,小像の設置との13である」と述べられている.この両者の記述は,彼に帰せられる
    マントラ
    の流儀として13の文献があったことを伝えている.この13の著作は,テンギュルの北京版の目録では,最初のMantrārthāvatāraに続く, Sekopadeśa (P. No. 4857),Samayagupti (P. No. 4858),Saudadāna (P. No. 4859),Peyotkṣepavidhi (P. No. 4860),Homavidhi (P. No. 4861),Devapūjakrama (P. No. 4862),Āyūḥsādana (P. No. 4863),Mṛtyuvañcana (P. No. 4864),Mumūrṣuśāstra (P. No. 4865),Śmahoma (P. No. 4866),Saptaparvavidhi (P. No. 4867)と最後のCitāvidhiである.すなわち,前述の引用は,これらの13文献の表紙と奥書と理解することができ,テンギュルに編入される以前にこれら文献が「Dīpaṃkaraの13の
    マントラ
    の流儀」として伝承されていたことが確認できる.これらの文献のうち,最初のものは,真言乗に入る意味をまとめたものであり,続く12文献は実際に行う儀軌を説いたものである.その儀軌も,前半の6文献は一般的儀軌をまとめたものであり,後半の6文献は死と再生に関する儀軌をまとめたものである.前半は,灌頂,三摩耶,曼荼羅供養,撒水,護摩,供養からなり,後半へ前行となっている.

    これらの13文献はその著作スタイルが統一されておらず,すべての文献に注釈者による注記が付されている.そのことから,この13の

    マントラ
    の流儀は,Dīpaṃkaraśrījñānaが意図して編纂したものではなく,チベットにおいて後代の者がこれらの13文献を
    マントラ
    の流儀としてまとめたものと考えられる.またこれら13の文献には,注記が付されていない版が存在しないことから,彼の他の著作とは異なる伝承を有していたと考えられる.

  • ルパート ブライアン 小野坂
    日本仏教綜合研究
    2005年 3 巻 127-135
    発行日: 2005/05/31
    公開日: 2017/11/06
    ジャーナル フリー
  • 天野 恭子
    印度學佛教學研究
    2016年 64 巻 3 号 1053-1060
    発行日: 2016/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    本稿では,ヤジュルヴェーダ
    マントラ
    に現れるvidhenamanとvrdhatuという未解決語を考察する.vidhenamanはMaitrayani Samhita I 9,1(
    マントラ
    )及びI 9,4-5(祭式解釈)に現れるが,語形についても語義についても決定的な解決がなされていない.本研究においては,問題を明確にした上で,この語を,これに続くvidhes tvam asmakam namaという
    マントラ
    と関連付けることを試み,^+vidher-naman- 「vidhes...nama[というフレーズ]によって呼びかけられる者」との解釈を提示した.同
    マントラ
    は,動詞vidh「取り計らう」の通例から逸脱した用法を示すが,その背景は19という章の成立の特殊性や,音韻的に似た語を含む他の表現からの影響によって説明され得る.ここに現れたvidhesという語は,ヤジュルヴェーダ・サンヒターにおいて他に一度だけ現れる.Taittiriya-Samhita VI 1,2,5の,brhaspatir no havisa vrdhatu(
    マントラ
    TS I 2,2,1)についての説明において,vidhesと言わずvrdhatuと言うべしと述べられるのである.しかしこのvrdhatuという語も,語形や文における用法に問題がある.それらの問題が,元にvidhesがありそれがvrdhatuに変えられたことに起因することを指摘し,変化の過程を考察する.すなわち,vrdhatuが主語Brhaspatiと共にactive語形で現れる(普通はmiddle)ことはおそらくvidhesからの影響であること,-atuという語幹及び語尾のイレギュラーは*vi-dhatu(動詞vi-dhaのaor. imperative)からの影響が考えられ,そこに動詞vidhの介在が想定されることを示した.イレギュラーな語幹及び語尾-atuの形成については他に,imperativeをsunjunctive語幹から形成する例への類推や,韻律上の必要性などの想定される要素を指摘した.扱った二つの
    マントラ
    において,vidhesという語を巡ってイレギュラーな語形や用法が起こっていたことがわかった.その原因として,vidhesを祭式の場で用いることに問題があった,つまりvidhesが日常語であった可能性が考えられる.MSの写本において,vidhes tvamの代わりにvidhe tvamやvidheh tvamという形が伝承されており,vidhe(h)がこの形で頻繁に用いられていた可能性を指摘した.
  • 井田 克征
    印度學佛教學研究
    1999年 48 巻 1 号 516-514
    発行日: 1999/12/20
    公開日: 2010/03/09
    ジャーナル フリー
  • 土山 泰弘
    印度學佛教學研究
    1983年 31 巻 2 号 915-912
    発行日: 1983/03/25
    公開日: 2010/03/09
    ジャーナル フリー
  • ――マントラの解読――
    阿 理生
    印度學佛教學研究
    2008年 56 巻 2 号 875-870
    発行日: 2008/03/20
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
  • 天野 恭子
    印度學佛教學研究
    2015年 63 巻 3 号 1161-1167
    発行日: 2015/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    黒ヤジュルヴェーダ・サンヒター(マイトラーヤニー・サンヒター[MS],カータカ・サンヒター,タイッティリーヤ・サンヒター)の散文部分は,ヴェーダ祭式についての最も古い説明書である.筆者による最近の研究は,MSの各章がそれぞれに示す言語的特徴を明らかにし,同文献において複数の言語層が存在するという可能性を示唆した.これは,MS成立の解明に向かう新たな視点と言える.本研究では,各章の言語や記述意図・記述スタイルの違いを浮き彫りにする数例の言語現象を取り上げる.MSにおける散文章すべてについて考察を行うが,特にIII巻1-5のAgniciti章のMSにおける位置づけに焦点を当てて考察する.その結果,
    マントラ
    のみを,付随する祭式行為への言及なしに引用する用法,
    マントラ
    をhi文で説明する用法,そしてyad aha...iti文で
    マントラ
    を引用する用法が,III巻以降に顕著に頻繁になることが明らかになった.III巻以降,
    マントラ
    の引用と説明に重点を置く傾向が強くなったと理解される.そして,これらの用法が,I巻4-5に共通して現れることも分かった.しかし,atha+esa-/eta- による祭式説明の導入の用法を見ると,III巻1-5とI巻10-11に共通していることが分かった.III巻以降の章は,I巻に見られるスタイルを選択的に踏襲しており,特にI巻4-5の影響が強く,I巻10-11も影響していることを,本考察の結論として述べた.
  • ガヤーの祖霊祭における供養マントラの分析から
    虫賀 幹華
    宗教研究
    2021年 95 巻 1 号 49-73
    発行日: 2021年
    公開日: 2021/09/30
    ジャーナル フリー

    北インドのヒンドゥーの聖地ガヤーで行われる祖霊祭では、「男性・女性たちのための十六」という死者の救済のための

    マントラ
    が唱えられる。本論文は『ガヤーマーハートミヤ』(十―十一世紀頃)に掲載される同
    マントラ
    を和訳した上で、これを池上良正が論じるところの「無主/無遮」の両側面を含む無縁供養であるとみて分析するものである。同
    マントラ
    で供養の対象となるのは、「まつり手がいない(無主)」ことあるいは異常死を理由として葬儀が執行されないことによる苦しむ死者、生前の悪行が原因で生まれ変わり先で苦しむ死者、親族を超えた非常に広範囲の祭主の「縁者」たる死者である。異常死者や転生先で苦しむ死者と祭主との関係性の不問、輪廻思想による時空を超える対象の広がり、言葉を尽くした祭主との関係性の描写といった、この
    マントラ
    なりの「一切衆生への平等な(無遮)」供養のあり方にも注目する。

  • 木村 俊彦
    印度學佛教學研究
    2020年 69 巻 1 号 385-378
    発行日: 2020/12/25
    公開日: 2021/09/06
    ジャーナル フリー

    Erich Frauwallner suggested 630–640 as the date of the Bṛhaṭṭīkā of Kumārila in his ‘Kumārila’s Bṛhaṭṭīkā’ (WZKSO 6, 1962), in connection of his supposition of the date of Dharmakīrti as c.600–660. That is, in the Bṛhaṭṭīkā Kumārila criticized the causal logic of Dharmakīrti, but he did not criticize it in his Ślokavārttika. Frauwallner thus supposed Kumārila’s composition of the Bṛhaṭṭīkā to be later than that of the Ślokavārttika. I argue here that Kumārila in fact criticized the apoha theory of the Pramāṇavārttika in his Ślokavārttika. Furthermore, Dharmkīrti criticized the revelation theory of the Vedas, which Kumārila called ‘apauruṣeyatvam’ in the scripture section of his Ślokavārttika. For Dharmakīrti, the Vedas were composed of human words, that is, ‘pauruṣeyatvam.’ As for the authenticity of Buddha’s teaching and the lack of authenticity of the Brahmanical scriptures argued by Dharmakīrti, this is discussed between sections 3 and 3e of the Svārthānumāna chapter of the Pramāṇavārttika. They are thus contemporary and the composition of the Bṛhaṭṭīkā may be c. 600 according to my supposition of the date of Dharmakīrti as c.550–620. See my papers in this Journal 63.1 (2011) and 64.1 (2012).

    Kumārila criticized the apoha sentence of k.139 of Dharmakīri’s Svārthānumāna chapter in k.1 and 3 of the Apohavāda section of his Ślokavārttika. In this way the two scholars criticized each other, and they seem to be of the same generation.

    In the appendix added to this paper, I report that the southern text of the Pramāṇavārttika cited in the second chapter of the Sarvadarśanasaṅgraha by Mādhava is better than the northern texts used by scholars until now, by which I mean to include the Tibetan translations as well. That is, ‘ca vyakter’ (thus an individual) in k.247 of the Pratyakṣa chapter of the Pramāṇavārttika cited by Mādhava is better than the ‘yuktijnāḥ’ (men of wisdom) adopted heretofore. ‘Vyaktiḥ’ (individual) is a keyword of the Sautrāntika Dharmakīrti.

  • 大島 智靖
    印度學佛教學研究
    2020年 68 巻 2 号 1106-1101
    発行日: 2020/03/20
    公開日: 2020/09/10
    ジャーナル フリー

    It is a highly developed way of thinking of the Upaniṣads that death is observed as an extension of sleep. When a man sleeps, the vital functions around breath suspend, when he wakes they activate, and they take their departure (from his body) towards the next world when he is dying. The breath is a marker identifying his state of being dead or alive. Now, the consecration (dīkṣā) in the Agniṣṭoma has descriptions of “sleep” in which the consecrated sacrificer who has been awakened from a temporary sleep says the mantra claiming a secure return of the vital functions, including the breath. The Śathapatha-Brāhmaṇa, however, in opposition to the mantra, proclaims that the breath will not take departure from the sleeping (living) sacrificer, and it shows, as it were, the embryonic phase of the theory of the vital functions around sleep and death which held sway in the era of the Upaniṣads. Furthermore, this mantra is applied to another ritual called Sāvitra-Cayana, a variation for the piling up of the fire-altar for the Agnicayana of the Taittirīya lineage. It acts as a mantra preventing “death” and ensuring the recovery of the vital functions from “death.” Therefore, the mantra can be considered a good example of the Vedic way of thinking of the vital functions as mediators between sleep and death as this developed from the Brāhmaṇas to the Upaniṣads, i.e. from ritualistic thought to philosophy in general.

  • TS 6.1.8.4; 6.2.10.2; 6.3.9.2
    伊澤 敦子
    印度學佛教學研究
    2007年 55 巻 3 号 1029-1034
    発行日: 2007/03/25
    公開日: 2010/03/09
    ジャーナル フリー
    ヴェーダ祭式において, ラクシャスは祭式や神々に敵対し, 絶えず祭式を破壊しようと企て, 最終的に祭主や祭官によって排除される存在である. 特に黒ヤジュルヴェーダ・サンヒターではしばしばその様な記述に出会うが, ではラクシャスとはいかなるものかというと甚だあいまいである. その実体にせまる為, まずラクシャスに等置或いは言い換えられている語を抽出した. それにより, ラクシャスは主に黒ヤジュルヴェーダ・サンヒターにおいては áratayas (敵意達) や ámatayas (無思慮達) といった感情と関わるということが明らかになったが, その結びつきは弱いものであった. その中で, (1) Taittiriya Samhita (TS) 6.1.8.4 (2) 6.2.10.2 (3) 6.3.9.2は, yò 'smán dvésti yám ca vayám dvismá (我々を憎む者と我々が憎む者) とラクシャスを結び付けているという点においてより具体的であった. それ故, 本論文ではこれら3箇所に焦点を当て, その中に取り上げられている
    マントラ
    との関係を検討した. 次に, これら3箇所に対応する他のテキストとの比較を行い, 最後に yò 'smán dvésti yám ca vayám dvismá という
    マントラ
    を含む他の箇所を概観した. その結果, 次の2点が導き出された.
    1. TSの3箇所では, 本来2つである
    マントラ
    が1つであるかの様に見なされ, ラクシャスは yé 'smán dvésti yám ca vayám dvismá と同一視されたが, 他のテキストにはこの様な解釈は見られなかった.
    2. TS 6.3.2.1-2は, 本来1つの
    マントラ
    を2つに分け, ラクシャス達を憎しみ達と等置している.
    以上の点から, ラクシャスと否定的な感情があいまいに結び付けられている黒ヤジュルヴェーダ・サンヒターにおいて, ラクシャス達と憎み合う関係にある人間或いは憎しみとを同一視しようとするTSは特異な立場を打ち出していると言えよう.
  • 木村 俊彦
    印度學佛教學研究
    1990年 39 巻 1 号 415-411
    発行日: 1990/12/20
    公開日: 2010/03/09
    ジャーナル フリー
  • ─社員の学習意欲を活用したBASFジャパンの事例から─
    須田 修弘, 矢本 成恒
    開発工学
    2022年 42 巻 1 号 31-34
    発行日: 2022/10/20
    公開日: 2023/05/25
    ジャーナル フリー

    This paper describes that how BASF Japan is driving the digital transformation with stimulating employees’ motivation as well as enhancing its learning culture for sustainable growth. There have been several studies which have shown that 1) failure with making a measure, digital transformation (DX), to a purpose, 2) DX without any tangible benefits. The purpose of this paper is to verify the necessity of DX to be deployed as a means of corporate transformation, which BASF Japan attempted. The company has been driving “task-level based” DX to enhance process excellence with boosting up digital literacy of each employee. The purpose of this paper is to report on the mechanism to move forward with DX driving business process efficiency as well as process transformation, i.e., 1) Position DX as a measure to drive corporate excellence linking it to corporate transformation, 2) Enhance digital literacy of all employees to transform business processes on task level, 3) Provide the training with in-house experts to build up the knowledge-pool. With creating such an environment each employee may exert their ownership for process excellence. And it may lead to kick in a virtuous cycle, where employees lean more for further contribution as business enabler.

  • 山本 達也
    宗教と社会
    2014年 20 巻 33-46
    発行日: 2014年
    公開日: 2017/07/19
    ジャーナル フリー
    本稿は、ネパールの首都カトマンドゥにある世界遺産の仏教聖地、ボーダナートで土産物として販売される、チベット難民が歌う
    マントラ
    CDの商品化過程を対象とするものである。現在、欧米やアジアからやってくる観光客に癒しやリラックスを与えると言われる
    マントラ
    CDがボーダナートで制作されている。70年代以降、欧米を中心に消費されている
    マントラ
    CDの土産物としての商品化は、観光地に暮らす人々にとって儲けのチャンスである。本稿では、
    マントラ
    CDの商品化という、様々な参加者が莫大な経済的益を得、それを通じて彼らが世界市場への展開を試みる観光地のビジネスを「下からのワールド・ミュージック化」と捉える。その過程に様々な思惑をもって参与する複数のアクターの実践や意味づけに着目することで、宗教ツーリズムの進展の中で新たに見出された宗教実践を提示するとともに、チベット難民が暮らす現在の複雑な社会状況を明示することを目的とする。
  • ――ヴェーダ暦と祭式・儀礼――
    阪本(後藤) 純子
    印度學佛教學研究
    2011年 59 巻 3 号 1075-1083
    発行日: 2011/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    ヴェーダ文献(紀元前1200-500年頃)に残る太陰太陽暦では,月の形態および月と白道近辺の恒星の位置関係により月日が決定される.祭式の日時を決定するために月の朔望と運動が注意深く観察され,naksatra-「月宿」の概念が成立する.月は朔から朔の間(1朔望月:約29.53日),白道近辺にほぼ等間隔に位置する恒星(群)に順次近づき,朔の夜(amavasya-)には太陽と合一して姿を消す.これらの恒星(群)(RVでは太陽を含む)はnaksatra-「(月が)到達する所」「月宿」と呼ばれ,月と恒星との位置関係を示す指標となる.krttikas(Pleiades昴)を起点とするこれらの恒星(群)は,ヨーロッパ青銅器時代の考古学遺品(Nebra Sky Disk)が示唆するように,ヴェーダ期を遙かに遡る古代に起源を持つ可能性がある.Naksatra崇拝や婚姻・戦闘等のために吉祥なNaksatraを選ぶ風習は,光(太陽・火)を崇め闇・夜を避ける傾向の強いヴェーダ祭式よりも,むしろ民間儀礼において発達し,部分的にシュラウタ祭式に取り入れられた形跡が伺える.Naksatraの列挙はAtharvaveda XIX 7,Yajurveda-Samhita
    マントラ
    (Agnicayana火壇第五層のNaksatra煉瓦:Maitrayani Samhita II 13,20,Kathaka-Samhita XXXIX 13,Taittiriya-Samhita IV 4,10),Taittiriya-Brahmana
    マントラ
    (15,1:Naksatra祭?),
    マントラ
    と散文(III 1:Naksatra献供)に見られ,さらに部分的にTB散文(I 5,2-3:Naksatra解説)にも残るが,いずれも後代の補遺部分とみなされる.これらのNaksatraの列挙は,朔望月に基づく28 Naksatra方式と恒星月に基づく27 Naksatra方式に分類されるが,前者は月と恒星の位置を正確に反映せず,後者は朔望月の日付と対応しない.この矛盾を解決するために,上記Agnicayanaの
    マントラ
    およびシュラウタ・スートラでは,本来は次元の異なる概念である満月・朔の夜を27 Naksatraに付け加えるなどの工夫が試みられる.より平易な28方式は一般大衆の民間儀礼に好まれ,より正確な27方式は祭官学者間に普及したことが上記文献から推測される.(後者はJyotisa以降の天文学において黄道の均等な27区分に変質する.)
  • 西村 直子
    印度學佛教學研究
    2003年 52 巻 1 号 479-474
    発行日: 2003/12/20
    公開日: 2010/03/09
    ジャーナル フリー
  • ―P300を用いた検討―
    谷田 林士, 姫野 良介, 三村 安純, 小林 龍平
    感情心理学研究
    2018年 26 巻 Supplement 号 ps46
    発行日: 2018年
    公開日: 2019/06/08
    ジャーナル フリー
  • 德重 弘志
    印度學佛教學研究
    2022年 70 巻 2 号 915-910
    発行日: 2022/03/23
    公開日: 2022/09/09
    ジャーナル フリー

    Dharmakīrti (c. A.D. 600-660) mentioned two examples of esoteric literature in his Pramāṇavārttikasvavṛtti: the Ḍākinītantra and the Bhaginītantra. Karṇakagomin (c. A.D. 9-10th century) rephrased Bhaginītantra as CaturbhaginītantraThe Tantra of the Four Sisters) in his commentary on the Pramāṇavārttikasvavṛtti titled Pramāṇavārttikaṭīkā. An earlier study presumed that the Four Sisters here were the four goddesses Jayā, Vijayā, Ajitā/Jayantī, and Aparājitā, and positioned the Bhaginītantra as the generic name for the Śaiva scriptures on these four goddesses. However, that study did not cite any concrete evidence for the use of the phrase Caturbhaginītantra in Śaiva literature.

    The author has conducted an exhaustive survey of the term Caturbhaginītantra to clarify this issue. As a result, it was learned that the Caturbhaginītantra was incorporated into the esoteric Buddhist scripture called Śrīparamādya. This chapter contains maṇḍala and rituals related to the four goddesses Rati, Māraṇī, Vārāhī, and Siddhikāśī, adopted from Hinduism. Thus, based on the existence of the term Caturbhaginītantra, we can suppose that Karṇakagomin paraphrased Bhaginītantra as Caturbhaginītantra with an awareness of this literature in the Śrīparamādya. Furthermore, if the views expressed in this commentary are valid, the Śrīparamādya was already established by the time Dharmakīrti was alive, and there is a possibility that he also referred to this Buddhist scripture.

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