演題をご覧になった多くの方は『レースと理学療法学会とのつながりは何だろう!』と不思議に思われたことと思います。本学術大会長の京都大学大学院大畑光司先生から講演依頼を頂いた時には,開発を担当したホンダ歩行アシスト機器の機能や特性をご紹介する予定でいましたが,機器に関する説明ではなくその開発の原動力となった考え方や理念,またそれに至った背景や体験について話してほしい,とのご要望を頂き今回の演題とさせて頂きました。
私は1980年にホンダに入社し自動車用の電子制御システムや人支援機器の研究開発に携わってきました。入社後4年間は先輩から指導を受けながら新型車の開発に従事していましたが,1985年にF1プロジェクトへ異動となりその後8年間レースエンジンの制御などをつかさどる電子システムの開発を担当することになりました。
ホンダは,創業時よりレースとのつながりが強く,1959年から二輪レースの世界最高峰と言われていたイギリスの
マン島
TT
レース
に参戦し1961年に初優勝すると,1964年からは自動車レースの最高峰であるF1にも参戦しその翌年に初勝利を挙げました。F1で初優勝を果たしたレース後のインタビューで創業者の本田宗一郎社長は「勝った原因・負けた原因を解明し,量産メーカーとして高品質で安全な自動車をユーザーに提供し続ける」と述べていたように,まさしくホンダにとってレースは,市販車に必要な技術を過酷な条件で実験し,その技術力を証明する場でもありました。
ホンダは,1968年にF1活動を一旦休止しましたが,15年の歳月を経た1983年に再び活動を開始しました。当時F1は,ヨーロッパ,アメリカ,オセアニアで開催されていましたが,ホンダの参戦により1987年から日本での開催が決まりアジア圏も興行エリアに加えられることになりました。
“第二期F1”と呼ばれている1983年から1992年までのF1活動でホンダはF1史に刻まれる輝かしい結果を残しましたが,復帰当初は勝利が遠く厳しく辛い時期がありました。早く勝ちたいという想いで開発に打ち込みその努力がようやく実を結び始めるようになると,それまでとは違うより強いプレッシャーや厳しさを感じるようになりました。それは,勝つための開発と勝ち続けるための開発は,同じ開発でも似て非なるものであり,これまでと違う目標の設定やそれを達成する手段への取り組みをしないと勝ち続けることができないと分かったからです。試行錯誤を繰り返していくうちに,新たな課題に対処するには,常に“ブレない”信念や理念を持たなければならないと思うようになりました。この考えは,いまでも私の働き方や人生観のベースとなっています。たとえば,専門外の領域において,または経験したことのない出来事に対して判断が求められる場合では,“ブレない”自分がいないと最善の結果を導くことができず,一貫性のない結論を出してしまいます。
ブレない自分を作るために何をすればよいかと千思万考していた時に出会ったのが,1987年からホンダのパートナーとなったあのアイルトン・セナでした。セナとは6年間同じチームで仕事をしましたが,どのような逆境になろうとも目標を見失うことなく,常に進化し続け研ぎ澄まされていく感性や取り組み姿勢に大きな刺激を受けました。それは,今でも変わることはありません。
このような背景をもとに,私がレース及びその後の開発の経験から,ものごとを成し遂げるためにどのような想いを持って実践してきたかをセナとのエピソードも交えながら『F1からの贈り物』としてご紹介したいと思います。レースの世界は少し特殊な世界で,皆様方の医療業界と異なる部分もあるかと思いますが,一つの考え方としてお聞き頂ければ幸いです。
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