本稿では、現実批判を伴う宗教批判を、キリスト教再構築の水準を追求する試みとして展開する。その際、「初めに多様性ありき」を出発点として、正典諸文書に加えて、種々様々な外典文書群に関する研究から得られる重要な洞察と知見を適用する方法が有効である。しかしながら、従来から狭量で不寛容とされてきた福音派またはファンダメンタルなキリスト教とは袂を分かつ自覚に立つリベラル派の間においてさえ、『マリアによる福音書』や『ユダの福音書』などの話題の初期キリスト教文書に関する最新の批評学的成果は必ずしも好意的に受け入れられているわけではない。というのは、伝統的なキリスト教理解や枠組みが根幹から揺さぶられるのではないかと危ぶまれているからである。今、聖職者の「沈黙の共謀」に加担することなく、市民と専門家との対等な対話を通して、時代に対応した宗教知識の展開能力(Religious Literacy)が養われる場の提供が急務であろう。
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