史実では徳川家康の家臣である服部半蔵は、今日では代表的な忍者として知られ、多くの創作作品で活躍している。半蔵は、猿飛佐助や霧隠才蔵の活躍した大正時代の第一次忍者ブームでは出番はなかった。昭和30 年代に、小説をはじめマンガやアニメ、テレビドラマ、映画や演劇作品などに忍者として描かれ、定着した。
「忍者・服部半蔵」の生成過程で重要な作品に、柴田錬三郎『赤い影法師』(昭和35)、山田風太郎の短編「忍者服部半蔵」(昭和39)がある。前者は服部半蔵を、主人公と深く関わり物語を貫く中心人物として描いた。後者は、「服部半蔵」とは特定の人物を指すのではなく、継承される名前であることを示した作品である。服部半蔵の有名無実さを的確に表現し、創作世界の「忍者・服部半蔵」の可能性を広げた。
「忍者・服部半蔵」の空虚な本質に、各作家が好みのイメージを代入し、独自な創作を加えたことによって、多様な表象が生まれたのである。
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